原田種成著「私の漢文講義」(大修館書店)を読んでいるところ。
原田種成氏は明治44(1911)年、東京に生まれ。平成7(1995)年84歳で亡くなっております。「貞観政要の研究」の著者ということで、私は読み始めました。「漢文のすすめ」(新潮選書)につづいて、この本を読んでます。
論は明快です。たとえば「創造力を養うための糧となる文学は、やまとことばで書かれた『源氏物語』や『枕草子』の中にはない。高校生にもわかるスケールの大きな文学といえば漢文のほかにはない。」(p17)
また、こうも指摘しております。
「漢文の文章は論旨が簡潔明快で首尾の照応がはっきりしているから、これを学ぶとわかりやすい文章が書けるようになる。作家の海音寺五郎氏は、『昔の人の消息文は現代人にはわかりにくいと言っても、人によっては実に明快な文章を書く。学者といわれるほどの人のものは皆わかりやすい・・・日本語は漢文の骨格を借りなければ、散文として成立し得ない宿命があるのかも知れない。江戸時代の国学者より、儒者である、たとえば新井白石、たとえば室鳩巣などの方が、はるかに見事な和文を書いている事実をみても、こういえるかも知れない。漢文を中学校で教えることをやめたのは大失敗であったと思う。」(昭和41年7月27日、朝日新聞『古文書いじり』)」(p37~38)
そして、「国文と漢文との交渉 方丈記を例として」(p61~)が
その明快さを印象づけます。
「国文の中には漢文の影響を濃厚に受けているものがある。方丈記などはその一例であり、漢文脈の理解の上に立たなければ正しい解釈ができないところである。」とはじまって、某大学の入試問題を取り上げて、書きすすめられており、読みごたえありました。
その文章の後半にはこうあります。
「平安時代の懐風藻や本朝文粋の作品は、なんといっても外国の文学を学んで日が浅く、模倣の域を脱せず、稚拙極まりないものである。が、江戸時代には伊藤仁斎・荻生徂徠・栗山潜峰・安積澹泊・佐藤一斎・頼山陽など、すぐれた大家が輩出しており、それら当代第一流の文化人が書いた第一級の文章があるのに、江戸文学といえば、西鶴・近松・馬琴等々に限られているのは、まことになげかわしいことである。これらは、今でいえば週刊誌連載の大衆小説の類である。庶民文学もけっこうではあるが、その当時の一流文化人の書いた文章を、ただむずかしいからというだけで捨て去っていてはならない。・・・・・かつて、ある若い国文学の研究者と語ったとき、鴎外の研究をしているが、漢文のところはわからないから飛ばしているといっていた。そんなことで真の鴎外研究ができるのであろうか。どうか日本文学の研究を不完全なものにしないでほしいものである。」
いたってわかりやすく、漢文に関する具体的な指摘は、高校の先生などに読んでもらうのが一番よいような印象を受けましたが、今の先生は忙しそうで読まないだろうから(きめつけてはいけませんが)。興味ある方は、どなたが読んでよい一冊なのじゃないでしょうか。丁寧に読めば、高校生でも分かりやすい講義文章だと思われます。
ちなみに、この本は、亡くなってから、いろいろなところに書いた文を集めたもののようです。序は石川忠久。
原田種成氏は明治44(1911)年、東京に生まれ。平成7(1995)年84歳で亡くなっております。「貞観政要の研究」の著者ということで、私は読み始めました。「漢文のすすめ」(新潮選書)につづいて、この本を読んでます。
論は明快です。たとえば「創造力を養うための糧となる文学は、やまとことばで書かれた『源氏物語』や『枕草子』の中にはない。高校生にもわかるスケールの大きな文学といえば漢文のほかにはない。」(p17)
また、こうも指摘しております。
「漢文の文章は論旨が簡潔明快で首尾の照応がはっきりしているから、これを学ぶとわかりやすい文章が書けるようになる。作家の海音寺五郎氏は、『昔の人の消息文は現代人にはわかりにくいと言っても、人によっては実に明快な文章を書く。学者といわれるほどの人のものは皆わかりやすい・・・日本語は漢文の骨格を借りなければ、散文として成立し得ない宿命があるのかも知れない。江戸時代の国学者より、儒者である、たとえば新井白石、たとえば室鳩巣などの方が、はるかに見事な和文を書いている事実をみても、こういえるかも知れない。漢文を中学校で教えることをやめたのは大失敗であったと思う。」(昭和41年7月27日、朝日新聞『古文書いじり』)」(p37~38)
そして、「国文と漢文との交渉 方丈記を例として」(p61~)が
その明快さを印象づけます。
「国文の中には漢文の影響を濃厚に受けているものがある。方丈記などはその一例であり、漢文脈の理解の上に立たなければ正しい解釈ができないところである。」とはじまって、某大学の入試問題を取り上げて、書きすすめられており、読みごたえありました。
その文章の後半にはこうあります。
「平安時代の懐風藻や本朝文粋の作品は、なんといっても外国の文学を学んで日が浅く、模倣の域を脱せず、稚拙極まりないものである。が、江戸時代には伊藤仁斎・荻生徂徠・栗山潜峰・安積澹泊・佐藤一斎・頼山陽など、すぐれた大家が輩出しており、それら当代第一流の文化人が書いた第一級の文章があるのに、江戸文学といえば、西鶴・近松・馬琴等々に限られているのは、まことになげかわしいことである。これらは、今でいえば週刊誌連載の大衆小説の類である。庶民文学もけっこうではあるが、その当時の一流文化人の書いた文章を、ただむずかしいからというだけで捨て去っていてはならない。・・・・・かつて、ある若い国文学の研究者と語ったとき、鴎外の研究をしているが、漢文のところはわからないから飛ばしているといっていた。そんなことで真の鴎外研究ができるのであろうか。どうか日本文学の研究を不完全なものにしないでほしいものである。」
いたってわかりやすく、漢文に関する具体的な指摘は、高校の先生などに読んでもらうのが一番よいような印象を受けましたが、今の先生は忙しそうで読まないだろうから(きめつけてはいけませんが)。興味ある方は、どなたが読んでよい一冊なのじゃないでしょうか。丁寧に読めば、高校生でも分かりやすい講義文章だと思われます。
ちなみに、この本は、亡くなってから、いろいろなところに書いた文を集めたもののようです。序は石川忠久。