青木新門著「納棺夫日記 増補改訂版」(文春文庫)を読みました。
前半に印象的な箇所が、登場します。
そういえば、後半の第三章に親鸞が登場しておりました。
その親鸞の箇所で、こう指摘しておられます。
「親鸞の主著は、『教行信証』である。
今日では、浄土真宗の立教の根本思想となっている。
この書を開いて、まず気づくことは、最初の教えの巻が他の五巻と比べると極端に短いことである。それは、『教行信証』全体の結論から先に述べてあるからである。また他の五巻も、巻頭は裁判所の判決文のように一行の結論で済まし、後は判決理由を長々と述べるといった書き方である。・・・親鸞は常に、結論から先に述べている。」(p92~93)
この納棺夫日記で、最初に登場する印象的な箇所。
それは、葬祭業になって、あらてめて、地方の風習を語る箇所でした。
「今日までこの地方では、この湯灌・納棺をする人は、死者の従兄弟か叔父や甥がするのが習わしとなっている。選ばれた二、三人は、町内や村の長老や葬儀屋などの指示で、渋々行うのである。なぜか使い古しのエプロンか割烹着を裏返しに着て、荒縄などでたすきをしたり、腰をしばったりした異様ないで立ちで行う。そして始めるのかと思うと、コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多いせいもある。
湯灌というのは、長い間寝たきりの状態で死亡した死者を送り出すとき、せめてきれいな体にしてあげようと、全身を洗い清めた風習である。・・・・
船頭が多い上、やりたくないのにやらされた素人が酒をあおって行うわけで、死者を全裸にしたり、起こしたり横にしたりするものだから口や鼻や耳から血が出てきたり、不快は状況を現出させるわけで、取り巻く人々は死者への愛惜の念と死体への嫌悪感と死への恐怖などが入り混じり、いやがうえにも興奮状態が増幅されてゆく。」(p12~13)
現在では、それは、どなたがやっているのか?
というと、たとえば、養老孟司さんは語っておりました。
「理科系の僕からいわせると、文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです。現につきあわざると得ないから(笑)。そうするといろんなトラブルが起こるから、一応、私なりに理屈をつくって、こうなっているんだなあと理解して、徐々に本筋が見えてくる。学問は本来そうやって育っていくものだと思います。
そしてやっぱりエリートは、そういう本筋を見なければいけない。予測にしても、現状把握にしても、イデオロギーを持ち出したらどこまでも議論が続いてしまいますが、『モノで見る』という部分をきちんと押さえておけば、きちんと把握できるし、間違えたときにはどこで間違えたかがわかる。意見の食い違いがあるのはいいですが、一方で、モノについては非常に冷たく把握しておく必要がある。」(p104)
これは渡部昇一・養老孟司対談「日本人ならこう考える」(PHP)にあります。
青木新門氏のいう「コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多い・・」
というのと、
養老氏のいう「文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです」というのと、
二つを並べると面白く感じます。
ちなみに青木氏は早稲田大学中退で、富山市内の飲食店を経営し倒産。そして冠婚葬祭会社へと就職し、納棺を職業としてしたのでした。
医者との接点も何箇所が登場するのですが、
最初には、こんな箇所がありました。
「納棺を終え僧侶の控室へ案内され、僧侶と一緒にお茶を飲んでいると、『先刻より見せていただいていたのだが、あなたは偉いね、われわれ僧侶も見習わなければならない。ところで、あなたはどこの医学部を出られたのですか』と聞いた。
あまりに唐突な質問に戸惑っているところへ通夜の準備が整ったとの案内があって会話が中断した。なぜ医学部なのか分からなかった・・・」(p32)
ちなみに、青木氏は、旧満州で終戦を迎え、その時は、8歳とのこと。
前半に印象的な箇所が、登場します。
そういえば、後半の第三章に親鸞が登場しておりました。
その親鸞の箇所で、こう指摘しておられます。
「親鸞の主著は、『教行信証』である。
今日では、浄土真宗の立教の根本思想となっている。
この書を開いて、まず気づくことは、最初の教えの巻が他の五巻と比べると極端に短いことである。それは、『教行信証』全体の結論から先に述べてあるからである。また他の五巻も、巻頭は裁判所の判決文のように一行の結論で済まし、後は判決理由を長々と述べるといった書き方である。・・・親鸞は常に、結論から先に述べている。」(p92~93)
この納棺夫日記で、最初に登場する印象的な箇所。
それは、葬祭業になって、あらてめて、地方の風習を語る箇所でした。
「今日までこの地方では、この湯灌・納棺をする人は、死者の従兄弟か叔父や甥がするのが習わしとなっている。選ばれた二、三人は、町内や村の長老や葬儀屋などの指示で、渋々行うのである。なぜか使い古しのエプロンか割烹着を裏返しに着て、荒縄などでたすきをしたり、腰をしばったりした異様ないで立ちで行う。そして始めるのかと思うと、コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多いせいもある。
湯灌というのは、長い間寝たきりの状態で死亡した死者を送り出すとき、せめてきれいな体にしてあげようと、全身を洗い清めた風習である。・・・・
船頭が多い上、やりたくないのにやらされた素人が酒をあおって行うわけで、死者を全裸にしたり、起こしたり横にしたりするものだから口や鼻や耳から血が出てきたり、不快は状況を現出させるわけで、取り巻く人々は死者への愛惜の念と死体への嫌悪感と死への恐怖などが入り混じり、いやがうえにも興奮状態が増幅されてゆく。」(p12~13)
現在では、それは、どなたがやっているのか?
というと、たとえば、養老孟司さんは語っておりました。
「理科系の僕からいわせると、文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです。現につきあわざると得ないから(笑)。そうするといろんなトラブルが起こるから、一応、私なりに理屈をつくって、こうなっているんだなあと理解して、徐々に本筋が見えてくる。学問は本来そうやって育っていくものだと思います。
そしてやっぱりエリートは、そういう本筋を見なければいけない。予測にしても、現状把握にしても、イデオロギーを持ち出したらどこまでも議論が続いてしまいますが、『モノで見る』という部分をきちんと押さえておけば、きちんと把握できるし、間違えたときにはどこで間違えたかがわかる。意見の食い違いがあるのはいいですが、一方で、モノについては非常に冷たく把握しておく必要がある。」(p104)
これは渡部昇一・養老孟司対談「日本人ならこう考える」(PHP)にあります。
青木新門氏のいう「コップ酒をあおり、わあわあと興奮しているだけで、一向に作業がはかどらない。一々口出しする船頭が多い・・」
というのと、
養老氏のいう「文科系の人は、日本の世間というのはどういう原理で、どいうやって動いているんだということをきちんと調べてほしい。葬式の問題なんて、解剖学をやっているこっちのほうが詳しいんです」というのと、
二つを並べると面白く感じます。
ちなみに青木氏は早稲田大学中退で、富山市内の飲食店を経営し倒産。そして冠婚葬祭会社へと就職し、納棺を職業としてしたのでした。
医者との接点も何箇所が登場するのですが、
最初には、こんな箇所がありました。
「納棺を終え僧侶の控室へ案内され、僧侶と一緒にお茶を飲んでいると、『先刻より見せていただいていたのだが、あなたは偉いね、われわれ僧侶も見習わなければならない。ところで、あなたはどこの医学部を出られたのですか』と聞いた。
あまりに唐突な質問に戸惑っているところへ通夜の準備が整ったとの案内があって会話が中断した。なぜ医学部なのか分からなかった・・・」(p32)
ちなみに、青木氏は、旧満州で終戦を迎え、その時は、8歳とのこと。