和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

矢次一夫。

2009-06-19 | Weblog
福田和也著「日本国怪物列伝」(角川春樹事務所)を読む。

27人が織りなす螺旋階段を降りてゆくと、昭和史の霞みが、読む者に立体的に浮かび上がるような、なんとも渾沌とした味わい。
それぞれの肖像的な写真がついているのが、ありがたい。 この本の文章は、絵でいえば、デッサン。 そう、肖像画家が、興味のおもむくままに色紙(一人が10ページほど)にデッサンを描いて並べて見せたような体裁となっております。

私は、何を言ってるんだか(笑)。
せめて、お一人のプロフィールでも紹介して、この本の書評としましょう。


福田和也氏は「岸信介の回想」を読んでいて、そこに矢次一夫氏が出て来るので意識しだしたと書いております。

「同書(「岸信介の回想」)は、今日、昭和史を研究する者にとって、基本図書に位置づけられているが、そこに矢次があらわれて、ほとんど岸と対等に、時には岸よりも偉そうに語っていて、しかもその姿勢がまったく殊更なものではなく、常態としての関係としか思えない・・」(p100)

そして経歴を語ります。
三歳で母を亡くし、15歳で家出、佐賀から東京へ行こうとして、人夫部屋に売り飛ばされ、脱走し別の刑務所並の人夫部屋へと売り飛ばされる。それを三度。
18歳までのタコ部屋人夫という苛烈さが、後年、さまざまな争議事件で、共産党の指導者たちとわたりあっても、動じない風格を生じる。
それにまつわるエピソードとして
共産党・渡辺政之輔との話が引用してあります。

「いつだったか、彼が地下に潜る直前だったろうが、私が酔いにまかせて、君たちの共産党は、いわゆる『春画』的共産党だね。なぜなら、日本の春画の特色は、ある一物だけを、とくに誇大に表現することによって、人の好奇心をひくことに成功しているが、本物は、そんなに大きいわけじゃない。それとちょっと似ているじゃないか、といったら、さすがに彼も苦笑して、そんな妙な言葉を流行さすなよ、といっていた姿が、いまも思い浮かぶ。」(「労働争議秘録」)

ちなみに、この本で紹介されている27人の怪物。そのうちの、文学者はというと、徳富蘆花・山本周五郎・中村草田男・菊池寛ぐらい。文学史なんてちっぽけなものだと、ガテンがゆく一冊になっております。
そのような、興味をもって怪物27人を読みおわる頃には、いつのまにか、あなたも昭和史の螺旋階段をおりてゆく自分に気づかされることになります(笑)。
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手渡されました。

2009-06-19 | Weblog
本を二冊頂きました。
長谷川昂著「風と道」(三五館)
三瓶繁男著「詩画集 富士山 追憶」(房州印刷所)
どちらも、いただいた本なのですが、といわれて、
以前お貸しした本を、返しにきながら、
ついでのようにして、
わざわざ持ってこられ、手渡してくださいました。

どちらも、読みたい本でした。
その一冊。長谷川昂氏は彫刻家。1909年生まれ。
2000年に出た本です。こういう言葉を読みたかったと、
渇きが満たされたような充実感がありました。
それは、言葉以前の姿勢を読める幸せのような気がします。
それが何なのか、もう一度読んでみようと思います。


手渡されて、あらためて詩を思い浮かべました。


    風を彫る       諌川正臣 

           長谷川昂先生に

いたたまれなくなったとき
少年はいつも裏山に登りました
独りになりたかったのです

裏山にはいつも風がありました
麓に風のない日でも少しはありました
風に吹かれていると心も静まります
そのうち涙も乾きます

目には見えない風ですが
目をつぶれば肌に感じます
そよぐ草木や雲の流れに風を見ます
萎んでいた胸のうちがふくらんでいくようで
山の峰を越えて行く雲は憧れでした

いつからか
目に見えない 風のようなものを
かたちにしたいと思うようになりました
ひたむきに 打ち込み 励み 腕を磨き
やがて大樹となって夢をひろげます

気といわれるものでしょうか
人のなかにもたえず風が吹いています
生きている証(あかし)のような
さまざまな思いの風も

木のなかに秘められた気を呼び起こそうと
刻んで 問いかけ 刻んで 問いかけ
木はふたたび生命をとりもどすのです
鉈彫りの楠の木肌から大地の風が吹いてきます

双手を突き出し
風に向かって元気いっぱいの童子の像
「風の子」
かつての少年がそこにいました
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