読売俳壇2009年6月22日。その矢島渚男選の9番目でした。
房総の風と太陽夏みかん 野田市 海老原順子
うん。房総の夏蜜柑という話をしましょう。
最近は、その夏みかんをけっこう食べております。
房総では、ちょっと広い庭があったりすると、
夏みかんの木が植えられていたりします。
たいてい鈴なりになっていて、そのまま取らずになっていたりします。
すっぱいのが特徴で、剥いて砂糖をまぶして食べたりします。
もちろん、好きな人は、そのままにムシャムシャと剥いてたべます。
以前引用した三瓶繁男氏の詩を思いうかべます。
みかん 三瓶繁男
みかんが いっぱいに実っているのを見て
妻が感動して言った
わー すごい みかんって
こんなふうに なってるんだ
見慣れている僕は
こんなことで感動できる妻に感動した
その妻もすでになく十三回忌が過ぎた
ときどき このことを 思い出し
心の中で ふっと笑う
うん。こりゃ夏目漱石著「坊っちゃん」を引用したくなります。
そこにも蜜柑が登場するのでした。
「庭は十坪程の平庭で、是と云ふ植木もない。
只一本の蜜柑があつて、塀のそとから、目標(めじるし)になる程高い。
おれはうちへ帰ると、いつでも此蜜柑を眺める。
東京を出た事のないものには蜜柑の生(な)つてゐる所は頗る珍しいものだ。
・ ・・・」
「頗る珍しいものだ」というのは、地元にいるとピントこないものなのですが、
それについてもうすこし思い浮かぶことを引用してみましょう。
安房高の八十年史(昭和58年)に兵藤益男校長のことが出て来ます。
「兵藤先生は、太平洋戦争が破局になった昭和19年4月、本校第七代校長として着任された。・・・・食糧難の絶頂期であった昭和21年に、夏蜜柑の苗木数百本を校庭に植付けられ、それは当時いろいろの意味で反対の声も多かったが、30数年を経った今日、毎年豊かな実をみのらせている。他県からの来訪者の目には、この風物は余程奇異に映るらしく、感嘆の声を聞くことが多い。」(p297)
そうそう。三瓶繁男氏の詩画集には、いろいろな方が紹介がてら寄稿しておられるのですが、下田正行氏はこう書き出しておりました。
「初対面は大学入試、42年も前のことになる。小さな身体に伝統安房高剣道部魂がみなぎっていた君。守りの堅い、それはそれはしぶとい剣だった。・・・・
少し遅い結婚だったが、奥さんが好きなミカン畑を背にした新居。しかし、春風もつかの間、突然の暴風雨、乳飲み子を含む4人の子を残して最愛の人が・・・・男手ひとつで荒波を越えてきた。その辛苦想像にあまりある。それでいて愚痴らない、こぼさない。しかも、小さきもの、弱きもの、少なきものへ向けられる暖かな視線・・。『すごい奴』としか言いようがない。そんな君を誇りに思う。・・・」
房総の風と太陽夏みかん 野田市 海老原順子
うん。房総の夏蜜柑という話をしましょう。
最近は、その夏みかんをけっこう食べております。
房総では、ちょっと広い庭があったりすると、
夏みかんの木が植えられていたりします。
たいてい鈴なりになっていて、そのまま取らずになっていたりします。
すっぱいのが特徴で、剥いて砂糖をまぶして食べたりします。
もちろん、好きな人は、そのままにムシャムシャと剥いてたべます。
以前引用した三瓶繁男氏の詩を思いうかべます。
みかん 三瓶繁男
みかんが いっぱいに実っているのを見て
妻が感動して言った
わー すごい みかんって
こんなふうに なってるんだ
見慣れている僕は
こんなことで感動できる妻に感動した
その妻もすでになく十三回忌が過ぎた
ときどき このことを 思い出し
心の中で ふっと笑う
うん。こりゃ夏目漱石著「坊っちゃん」を引用したくなります。
そこにも蜜柑が登場するのでした。
「庭は十坪程の平庭で、是と云ふ植木もない。
只一本の蜜柑があつて、塀のそとから、目標(めじるし)になる程高い。
おれはうちへ帰ると、いつでも此蜜柑を眺める。
東京を出た事のないものには蜜柑の生(な)つてゐる所は頗る珍しいものだ。
・ ・・・」
「頗る珍しいものだ」というのは、地元にいるとピントこないものなのですが、
それについてもうすこし思い浮かぶことを引用してみましょう。
安房高の八十年史(昭和58年)に兵藤益男校長のことが出て来ます。
「兵藤先生は、太平洋戦争が破局になった昭和19年4月、本校第七代校長として着任された。・・・・食糧難の絶頂期であった昭和21年に、夏蜜柑の苗木数百本を校庭に植付けられ、それは当時いろいろの意味で反対の声も多かったが、30数年を経った今日、毎年豊かな実をみのらせている。他県からの来訪者の目には、この風物は余程奇異に映るらしく、感嘆の声を聞くことが多い。」(p297)
そうそう。三瓶繁男氏の詩画集には、いろいろな方が紹介がてら寄稿しておられるのですが、下田正行氏はこう書き出しておりました。
「初対面は大学入試、42年も前のことになる。小さな身体に伝統安房高剣道部魂がみなぎっていた君。守りの堅い、それはそれはしぶとい剣だった。・・・・
少し遅い結婚だったが、奥さんが好きなミカン畑を背にした新居。しかし、春風もつかの間、突然の暴風雨、乳飲み子を含む4人の子を残して最愛の人が・・・・男手ひとつで荒波を越えてきた。その辛苦想像にあまりある。それでいて愚痴らない、こぼさない。しかも、小さきもの、弱きもの、少なきものへ向けられる暖かな視線・・。『すごい奴』としか言いようがない。そんな君を誇りに思う。・・・」