朝日新聞の古新聞を読んでいたら、
日曜日の読書欄に筒井康隆氏が「漂流 本から本へ」と題して連載をしておりました。その5月31日は9回目。夏目漱石著「吾輩は猫である」が登場しておりました。ちょっと引用。
「小学生にはむずかしかったが、それだけに読み返すたび新たな発見があり、くり返して読む愉しさがあった。アンドレア・デル・サルトなどの固有名詞や、天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの・・・などの名フレーズも記憶してしまった。・・・
漱石の文章は読む者に影響を与える。特にこの『猫』と『坊っちゃん』の断定的な語り口は、同時代の読者にずいぶん影響を与えたらしく、全集を全巻読んだと思える父の文章も漱石そっくりだった。
『猫』と『坊っちゃん』を読んだぼくは、次に『三四郎』や『虞美人草』にも手を出したが、これは面白くなかった。今でもそうなのだが、恋愛がからんでくるととたんに面白くなくなる。途中で投げ出さなかったのは心理的社会主義リアリズムとして今のぼくがわりと高く評価している『坑夫』くらいのものであろうか。落語的な語り口でユーモアがちりばめられていたから、なんとか読めたのだろうと思っている。・・・・」
ちょっと私に興味深かったのは、「断定的な語り口」という箇所でした。
そういえば、筒井康隆氏は、以前に断筆宣言をしておりました。
語り口をとかく干渉させられる。それを拒否する姿勢が、記憶に新しいところであります。
とりあえずは、語り口。筒井康隆氏は大阪出身なのですが、(何でも特技が大阪弁)
こりゃ、江戸言葉、端的な落語的な語り口とつながってくるのじゃないか。
そりゃ、幸田文の語り口とも地続きな、気安さがありそうだと、つながりをそんたくしてみたくなるじゃありませんか。
ということで、なんでつながるのか、アイマイなままですが、
ここから青木玉へとつなげます。
青木玉は1929年生まれ。
筒井康隆は1934年生まれ。
ちなみに、
漱石と露伴はともに慶応3年(1867年)の生まれ。
青木玉対談集「祖父のこと母のこと」(小沢書店)のなかの鼎談でした。
小田島雄志・村松友視・青木玉の三人での話の中でした。
【村松】お話の仕方、(幸田)文先生に似てるって言われませんか。
【青木】似てるんでしょうねぇ。
【村松】なつかしい感じしちゃいましたもの、いま。 (p117)
なんていう些細な話から、語られてゆくなかに『吾輩』が出てきたりするのでした。
【青木】祖父は若いころ『珍饌会』というへんな食べもののことばかり書いた本を出してるんです。いまで言うグルメを揶揄したものですね。夏目漱石の『吾輩は猫である』が天下一品楽しい本だと思って読んでたら、祖父が母に『玉子に、おれのものも読ませろ』と。『これはむずかしい本読ませられるんで、かなわないなあ』と思ってたら、読ませられたのが『珍饌会』でした。
【村松】おいくつぐらいのときですか。
【青木】小学校六年ぐらいだったと思います。
う~ん。露伴の孫が、家で漱石の本を読んでいるわけです。
ところで、『吾輩』は露伴の蔵書だったのでしょうか?
というのが、次の疑問。
日曜日の読書欄に筒井康隆氏が「漂流 本から本へ」と題して連載をしておりました。その5月31日は9回目。夏目漱石著「吾輩は猫である」が登場しておりました。ちょっと引用。
「小学生にはむずかしかったが、それだけに読み返すたび新たな発見があり、くり返して読む愉しさがあった。アンドレア・デル・サルトなどの固有名詞や、天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの・・・などの名フレーズも記憶してしまった。・・・
漱石の文章は読む者に影響を与える。特にこの『猫』と『坊っちゃん』の断定的な語り口は、同時代の読者にずいぶん影響を与えたらしく、全集を全巻読んだと思える父の文章も漱石そっくりだった。
『猫』と『坊っちゃん』を読んだぼくは、次に『三四郎』や『虞美人草』にも手を出したが、これは面白くなかった。今でもそうなのだが、恋愛がからんでくるととたんに面白くなくなる。途中で投げ出さなかったのは心理的社会主義リアリズムとして今のぼくがわりと高く評価している『坑夫』くらいのものであろうか。落語的な語り口でユーモアがちりばめられていたから、なんとか読めたのだろうと思っている。・・・・」
ちょっと私に興味深かったのは、「断定的な語り口」という箇所でした。
そういえば、筒井康隆氏は、以前に断筆宣言をしておりました。
語り口をとかく干渉させられる。それを拒否する姿勢が、記憶に新しいところであります。
とりあえずは、語り口。筒井康隆氏は大阪出身なのですが、(何でも特技が大阪弁)
こりゃ、江戸言葉、端的な落語的な語り口とつながってくるのじゃないか。
そりゃ、幸田文の語り口とも地続きな、気安さがありそうだと、つながりをそんたくしてみたくなるじゃありませんか。
ということで、なんでつながるのか、アイマイなままですが、
ここから青木玉へとつなげます。
青木玉は1929年生まれ。
筒井康隆は1934年生まれ。
ちなみに、
漱石と露伴はともに慶応3年(1867年)の生まれ。
青木玉対談集「祖父のこと母のこと」(小沢書店)のなかの鼎談でした。
小田島雄志・村松友視・青木玉の三人での話の中でした。
【村松】お話の仕方、(幸田)文先生に似てるって言われませんか。
【青木】似てるんでしょうねぇ。
【村松】なつかしい感じしちゃいましたもの、いま。 (p117)
なんていう些細な話から、語られてゆくなかに『吾輩』が出てきたりするのでした。
【青木】祖父は若いころ『珍饌会』というへんな食べもののことばかり書いた本を出してるんです。いまで言うグルメを揶揄したものですね。夏目漱石の『吾輩は猫である』が天下一品楽しい本だと思って読んでたら、祖父が母に『玉子に、おれのものも読ませろ』と。『これはむずかしい本読ませられるんで、かなわないなあ』と思ってたら、読ませられたのが『珍饌会』でした。
【村松】おいくつぐらいのときですか。
【青木】小学校六年ぐらいだったと思います。
う~ん。露伴の孫が、家で漱石の本を読んでいるわけです。
ところで、『吾輩』は露伴の蔵書だったのでしょうか?
というのが、次の疑問。