和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「令和」が、よびます「万葉集」。

2019-04-14 | 古典
中西進・磯田道史「災害と生きる日本人」(潮出版社)。
その最後の箇所を、
長くはなりますが、引用しとかなきゃ(笑)。


中西】 万葉集はデスクの上だけで読む書物ではありません。
万葉集はお茶の間で読むのにふさわしい書物だと私は思っています。
いつもくつろぐ場所に万葉集を置いておき、
事あるごとにページをめくってみる。
すると必ず大きな力をもらえるはずです。(p251)
・・・・・
茶の間に万葉集を置いてパラパラ眺めながら、
右から左へ忘れてしまったって、一向に構いません。
忘れてしまったようでいて、万葉集の言の葉は
深層心理、無意識下に着実に溜まっていくのです。(p252)

七世紀後半から八世紀後半にかけて編まれた
万葉集と、平安以降に編まれた『二十一代集』
(「古今和歌集」「新古今和歌集」など勅撰和歌集)は、
まったく異質です。端的に言って、
『二十一代集』は『いかに美しく上手な歌を作るか』
というところで、詠み人がしのぎを削りました。

万葉集はそうではありません。
いかに人間味があふれているか、
いかに人間を打つ力があるかという点だけが基準となり、
歴史のふるいにかけられて生き残った歌だけが編まれているのです。

万葉集の歌には人間味が、これでもかこれでもか
とばかりに詰まっており、古代の声が詰まっています。
日本人がアルカイック(原初)回帰できる歌集は
『二十一代集』ではありません。万葉集だけです。
しかも万葉集は小説集でも物語集でもありません。
一首一首の歌に、一呼吸ずつの瞬間的な出会いがあるのも魅力です。

  ・・・・


さらに付け加えますと、万葉集は統一体ではありません。
さまざまな人が、さまざまな時代に、さまざまな角度から
作り上げてきた雑多なところが特徴です。

『雑』と言うと
『その他』のような類別に感じられるかもしれませんが、
そうではありません。『雑』には
『多彩なるもの』『彩りが美しい』という意味あいがあります。
『美しい』という美の概念でもあります。
また、万葉集は真っ先に『雑(ぞう)の歌』から始まりました。

磯田】 素晴らしい分析に、深く感銘します。

中西】 主人公と準主人公がいて、
その他大勢がいる世界観ではない。
真っ先に『雑』という価値観があって、
無名の庶民、名もなき民衆の言葉と
普遍性が、そこにはある。
こういうあまりにも素晴らしい文化遺産は、
外国にはありません。

外国に残る古代の文学といえば、
英雄叙事詩や封建の征服史ばかりですからね。
辛うじて中国で漢の時代に、朝廷が集めた
『楽府(がふ)』という民間人の詩集があるくらいです。

私たちは『雑』の中に、まるで雑踏の中に身を隠すような
安心感と安堵感を得ながら入りこんでいけます。
これが万葉集です。

万葉集は、これからもずっと十分に長い命を保ち、
『人類の救済の泉』として、永遠に輝き続けるでしょう。
(~p256)

はい。万葉集の魅力をひらく言葉が有難い。今日からは、
中西進全訳注原文付「万葉集」(講談社)を、茶の間に。
令和カレンダーが出たら、そのそばに置きましょう(笑)。

ちょうど、おあつらえのように、
昨年末に一冊本の、この本を古本で安く購入してありました。
函入カバー付。雑然とした居間では片隅に追いやられるけど、
ツッコミ入れるテレビ番組は消して、この本を探しては開く。
そんな、令和の時代の私の日々を、ほんきに、思い描きます。


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真っ当な論じ方。

2019-04-14 | 産経新聞
4月13日(土曜日)の産経新聞には、
「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」。

そのはじまりを引用。

「新元号。『令和』については当然、
各誌が取り上げているが、
いちばん、真っ当に論じているのが
『ニューズウィーク日本版』(4・16)だ。」

うん。そうですか。というので、
『ニューズウィーク日本版』を買う(笑)。

さっそく読んだ箇所はキャロル・グラック
(コロンビア大学教授「歴史学」)さんの文。
見出しは「『令和』--名前より大切なこと」。

はい。私が引用したくなった箇所はとうと

「令和は、外務省の公式の英訳によれば
『Beautiful Harmony = 美しい調和)
だそうだが、そう言われて誰が異議を唱えるだろうか。
『令』という漢字を『命令する』と読む人や、
国家による国民管理の意図を示唆していると疑う人もいるが、
出典が和歌の序で梅の開花をうたっていることから、
後者の解釈は少し行き過ぎだろう。

しかし、たとえ『命令する』と解釈したとしても、
歴史に何も影響力はない。なぜなら、
元号が選ばれた時点では、
その歴史的な内容はゼロだからだ。

1926年に昭和が新しい元号として発表されたときも、
89年に平成の2つの漢字が掲げられたときも、
4月1日の令和のときと同じように元号の
選定をめぐって活発な議論が巻き起こった。

昭和も平成も、改元から5年、10年、15年とたっても
元号の意味に関する論争は続いたが、結論は出なかった。

さらには、時代を定義することになった出来事も、
元号の意味とは全く関係がなく続いてきた。
昭和という『明るい平和』がひどい戦争となった。
平成は、文字どおり平和を達成したが、
一方で景気後退と自然災害に見舞われた。

時代の本当の物語は、
その時代が終わってから初めて語られるのだ。

・・・・」


はい。一部だけをとりあげると、
意味不明箇所もあるわけですが、
まあ、読み足りない方は、雑誌を購入しますね(笑)。
私は、読めてよかったです。

うん。こういう文を、日本の週刊誌で読みたいのに、
花田紀凱氏の文によると、
『週刊文春』には「最初にタイトル(結論)ありき感が否めない。
・・結論にそって集めた情報がほとんど。」
『週刊朝日』へは「今さら『令和』に否定的な意見ばかり集めて
意味があるのか」と指摘している。

はい。週刊文春・週刊朝日を私は買わない。
ということで、週刊誌の書評は有難いなあ。
むかしは、むやみやたらに購入してました。
ということで、週刊誌の書評は有難いなあ。
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