和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

梅棹忠夫の京都。

2019-04-26 | 古典
「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)の
下鴨・上鴨を紹介した5行ほどの文は、
こうはじまっておりました。

「東京あたりの神社は、規模は狭小、チャチでやすっぽい。
お寺ばかりか、お宮もまた関西が、京都が家元である。
下鴨神社は、そういう雄大で気品のある社のひとつである。」
(p50)

京都一日目は、現在京都住まいの一人と合流。
それが、下鴨神社の近く出町柳近辺にいたので、
自然とそこに行くことになりました。
豆大福も買って、翌日食べました。
ちなみに、
私は結婚して、両親と住んでおりました。
もう両親ともに亡くなっているのですが、
私たち夫婦二人だけで住んでいたら、おそらく
家になかっただろうものに、仏壇があります。
はい。家には仏壇がありました。
二泊三日の京都旅行の最終日は、
12時半頃に新幹線を予約していたので、
午前中は、京都駅の付近をめぐることに、
それで、東本願寺へと出かけました。
おおきい。

はい。「梅棹忠夫の京都案内」の
東本願寺は7行ほどの紹介文です。
そのはじまりはというと、

「東本願寺は、徳川家康の時代に、
西本願寺からわかれて別派をたてた。
本願寺勢力を二分するための、
徳川家の謀略であったといわれる。
とにかく、よくも、
こんなおおきな寺をつくったものだ。
木造の建物では世界第一であろう。」(p35)


はい。まるで、家にある仏壇は、
ミニチュアのプラモデルかなにかのように、
そんな感じを抱かせるスケールが東本願寺にはありました。
そう。まるで私が小さくなって静謐で静置な仏壇のなかへ、
まぎれこんだような錯覚を体感してしまう東本願寺でした。

はい。こういう印象も、今書いておかなければ、
しばらくすると、忘れてしまうだろうなあ(笑)。

そういうことも、あって
「東京あたりの神社は、規模は狭小、チャチでやすっぽい。
お寺ばかりか、お宮もまた関西が、京都が家元である。」
という梅棹さんの言葉が
あらためて、迫ってくるように感じられました。

ちなみに、梅棹さんは「まえがき」で、
こう語っております。

「京都のひとが京都のことを、
他郷のひとにあまりかたりたがらぬというのは、
そういうことをすればついつい他郷のひとに対して、
心の底にもっている気もちがことばのはしばしにでてしまい、
相手の気もちをさかなですることがあるからだろう。
・・・・この本の内容も、
京都の市民には常識であり、共感をよぶ部分もおおかろうが、
他郷のひとにはかならずしもこころよくひびかぬ部分も
あろうかと案じている。・・・・
わらってみすごしていただきたい。」(p4)

え~と。
さっそく古本注文したのは、
岩波写真文庫(復刻ワイド版)京都案内『洛中』1954。
この本の監修が梅棹忠夫。
こちらは、写真入りで別の味わいがあります(笑)。
あとは、
林屋辰三郎著「京都」岩波新書。

どちらも、手元に届きました(笑)。


コメント (4)
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