和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

年取ったことを忘れてる。

2020-09-21 | 本棚並べ
大岡信著「古典のこころ」(ゆまにて選書)の
「はしがき」にこうあったのでした。

「はっきりしていることの一つは、
私にとって『古典』は、私がかつて読んだもの
の中にしかないということ。・・・」

こう明快に指摘しております。それなら、私の古典はなんだろう。
そう、自分を振りかえってみたくなるのでした。

小中学校は、漫画とテレビ。
高校の頃も、長い読書は付け焼刃でおしまい。
それでも、ありました。
文藝春秋の「新編 人生の本」(江藤淳・曽野綾子編)というシリーズ。
全12巻で、テーマごとの短文のアンソロジーを編み上げたシリーズでした。
その9巻目「生活の中の知恵」という本が、どういうわけか今でも
本棚の隅にあります。
今頃になって、『新編』という箇所が気になって、
それ以前にも、このシリーズはあったのだろうと、
目星をつけて検索すると、ありました。まえに、
「人生の本」(亀井勝一郎・臼井吉見編)で別巻を含めて11巻。
それに「生活の本」(臼井吉見・河盛好蔵編)でこちらも11巻。
新編の方が、昭和47年に出ております。
「人生の本」は昭和41年。「生活の本」は昭和43年。

うん。どちらも好評だったのでしょうね。
さて、興味深いのは、
『人生の本』の第一巻目が、「生活の知恵」とあります。
『生活の本』の第10巻目は、「生活の中の美」と題しておりました。
そして、新編の第9巻目が、「生活の中の知恵」と題している。

はい。私の古典は、新編になるまで、いろいろと道筋があったようです。
新編の第9巻で私が気になったのは、幸田文の文「水」でした。
『人生の本』の①「生活の知恵」に、幸田文の「あとみよそわか」が、
『生活の本』の⑩「生活の中の美」に、幸田文の「おしゃれの四季」がある。
はい。題名に生活とあるアンソロジーには、幸田文がどちらにも登場する。

ここで、おもむろに『人生の本』の①「生活の知恵」から、
そのはじまりの解説を読んでみました。解説は河盛好蔵。
はい。ここでも、横着して「解説」のはじまりを引用。

「生活の知恵というと、なにか卑俗なもののように考えられやすいが、
それは毎日のパンのように、人間の生活には欠くことのできぬ大切な
ものである。それは私たちの日常生活をできるだけ快適な、
わずらいの少ないものにするための工夫である。もしくは
その日その日を最も充実して生きるための技術である。

人生の意味について考えたり、人生いかに生きるべきかについて
哲学的考察を巡らすことも、むろん大切なことであろう。・・・・・
・・そのためにはまず毎日の生活を賢く生きなくてはならない。
私たちの一生は一回きりのもので、くり返しのきかないものである
ことは誰でも知っているが、それが毎日の生活の積み重ねである
ことについては、大ていの人はあまり切実には考えない。そのために
日常生活をともすれば粗末に扱いやす。とくに若いときはそうである。

いや、単に若いときとは限らない。私などは、もういくら長生きをしても、
さきの知れている年齢になりながら、いまだに毎日を大切に生きているとは
云いがたい。自分が年をとっているということすら忘れていることが
しばしばである。そういうことに対して警告を発してくれるのも
生活の知恵といおうものである。

すでの述べたように、生活の知恵とは、毎日の生活を賢く生きる術
であるから、すべての人間が多かれ少なかれ、それを備えている。
・・・・」(p3~4)

はい。こうして、短文の各編をおもむろに紹介しはじめております。

ちなみに、『生活の知恵』が発売された昭和41年は、
河盛好蔵氏は64歳でした。

あれれ。幸田文へと言及するのを忘れました。





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