本棚を整理してたら、谷沢永一・渡部昇一対談の
「いま大人に読ませたい本」(致知出版社・平成14年)が
出てくる。新刊でパラパラ読みして本棚に置いてそのまま
にしておりました。あらためて、ひらいてみる。
まえがきは、渡部昇一氏。
あとがきは、谷沢永一氏。
そのあとがきの最後を引用。
「私は劣等生なのだから確かに頭はワルイのであろう。
しかし勉学と読書とはどうやら次元が違うらしい。
読書はアタマで取り組む作業とは異なる。
アタマ以外に読書は感覚と情念に訴える精神的な行為であるらしい。
読書は必ずしも賢くなくてもよいのではあるまいか。
人間としての思うところ考えるところありさえすれば、
読書は心の奥底に滲み入る人格養成の径路であるらしい。」
はい。これが「あとがき」の最後の箇所です。
うん。せっかく開いたのですから、対談のはじまりの箇所も
引用しておくことに。
谷沢】 ・・・私が12歳のときに読んで印象に残っているのは、
『プルターク英雄伝』の中の一節で、アテネで絶大な人気を誇る
アリステイデスの陶片追放の話です。僭主の出現を防ぐための
陶片投票が行われる当日、アリステイデスが浜辺を歩いていて、
一人の男に出会う。
その男が、『わしゃ字が書けんから、代わりに書いてくれよ』と
アリステイデスに頼む。『誰を書くのか』と聞くと、
『アリステイデス』と男は答える。
『なぜ彼を追放したいのか』と重ねて聞くと、
男はこう答えるんですね。『あっち向いてもこっち向いても
アリステイデス、アリステイデスとうるさくてかなわんからだ』。
これはメインのストーリーからははずれる話なんですが、
あれを読んだときの名状しがたい気持ちは、忘れられない。
人間というのは難しいものだと感じた最初でしたね。
渡部】 そのときの本筋からはずれた話が心にとまったことが、
60年間発酵しつづけて、谷沢先生の『人間通』という本に結晶する
わけですね。そのように、本を読むと必ず心にひっかかるものに出合う。
・・・・・・・
それがだんだん分かってくるのは60歳を過ぎてから、
というのはざらにあることで、
その間ずうっと疑問を持ちつづけているわけです。
谷沢】 疑問を持つということが、
本を読んで得られる最大の財産ですよ。
疑問のない人間は、成長しません。・・・
(p17~18)
はい。私はこれだけで満腹。
また、本棚にもどします。
60歳を過ぎてから、いったい
どれほどの、疑問を持ち続けていたのかどうか。
今度は本棚のすぐに目につく場所に置くことに。