山崎正和著「室町記」(昭和49年)に
花を語った箇所があり印象に残る。
「茶の湯と生け花は今日も日本の伝統を代表する芸能と
見なされているが、いうまでもなく、このふたつはともに、
室町時代の『社交文化』の産物であった。
・・・にちに八代将軍・義政の時代になると、
力を失った将軍にとって、社交ということが
ほとんど唯一の政治手段になったといっても過言ではない。
そうしたサロンの『もてなしの芸術』として生れた茶と花で
あるが、このふたつがいずれも、社会の多様な階層から
同時多発的に生み出されたということは面白い。・・・」
はい。ここでは生け花をとりあげて引用してみます。
「そのなかでもっとも画期的な人物は池坊専慶であろうが、
彼は下京の町衆たちが帰依する六角堂・頂法寺の僧侶であった。
豪商や新興武士の支持を受けた池坊の生け花は、
宗教的な供花をたちまち人間の眼の娯しみに変えて行った。
いろいろな法要の機会に専慶が花を飾ると、
ひとびとはこれを見るために争って押しかけたという。
やがて彼は宮中や青蓮院門跡にも招かれて美技を見せる・・・
精神的な意味を含みながら、しかも感覚的に華麗な花というものは、
貴族と民衆のこうした交流のなかからこそ生れるにふさわしい
芸術だったといえる。
それにしても、茶の湯はもちろん、生け花というものも、
芸術としてははなはだ風変りな存在である。それはどちらも
『もてなし』の芸術であって、一回のもてなしが終ればあとには
形を残さない宿命を持っている。・・・・・
・・・・・生け花の場合も花と花器だけが作品ではなくて、
それが置かれた部屋の全体が客を楽しまさなければならない。
枯れやすい花はそれだけ多く主人の配慮を要求するわけで、
むしろその心づくしが客の眼を喜ばせることになる。
中心になるのはあくまでも茶や花を楽しむ人間の関係であって、
それは移ろいやすく、指さしてどこにあるとも示し得ない
ような対象である。そういうものに形式をあたえて芸術化しようと
いうのは奇妙な努力であるが、考えて見ればいかにも室町時代に
似つかわしい努力であったかもしれない。
都会化と社会の動乱のなかで人間は深く孤独を知り、
それを裏返した熱心さで、一瞬の社交を重く、手応えのあるもの
にしようとした。『一期一会』というのは後世の言葉であるが、
日本人は長くこの孤独を忘れることがなかったようである。」
(第五章・乱世が生んだ趣味の構造・もてなしの芸術化(一))
うん。忘れられない箇所となりました。