とりだしたのは
吉田精一著「随筆入門」(河出ペーパーバックス・昭和38年)。
はい。こういうのは古い方が楽しいですね。
「・・・・日本古典におけるいわゆる随筆に当たるものは
非常な数で、群書類従、続群書類従、国史大系などに収まっている
中世以前のものだけでも大へんな数である。江戸時代となると、
それがまたとんでもなく多い。ここでは今日の随筆という常識を
標準に裁断して、単なる記録、考証の類を除外し、日記をものけ、
広い意味の芸術的意義をもつもの、即ち単なる『随筆』ではなく、
『随筆文学』として価値のあるもののみをとって、大ざっぱに
代表的なもののみを通覧することにする。」
はい。ここまでが前置きでして、
カットしてもいいのですが、引用しました。
ここからです。
「そうしてみると、
まず平安時代における唯一の作品は『枕草子』である。
同時にそれは今日残っている最古の随筆文学であり、
そして『源氏物語』とくらべて、簡単に価値の高下を
つけがたい、世界随筆文学中の傑作ということになる。
随筆もここまでくれば、りっぱなものだ。
『枕草子』の著者は清少納言。・・・・
彼女の家は学者の系統で、かつ代々優秀な歌人を出している。
彼女も当時の女性として珍しく深い漢学の素養があったが、
和歌はあまり得意ではなかった。歌人としては和泉式部はもちろん、
紫式部にも及ばない。その代りに直観的に働く鋭い機知や、
きわめて個性的な感覚があった。頭のきらめきの早いことでは、
女流作家中第一だったろう。
私生活についてはよくわからないが、多分二十七、八歳の頃、
才をみとめられて一条帝の皇后定子に仕えた。そしておそらく
十年足らずの宮中生活の見聞、体験をもととして編んだのが
『枕草子』である。
彼女は美貌ではなく、むしろ普通以下の顔かたちであったらしい。
しかしその才と、快活で明朗な性格と、また主君たる定子に対する
献身的な愛情などによって、皇后の愛顧をうけた。・・・」
うん。ついついダラダラと引用してしまいますが、
すこし端折っていきます。
「ところで『枕草子』の内容だ。実はこれが難問なので、
というのはこの書物はまだ本文が十分確立していない。
異本によってひどい異同がある。順序すらまったく変っている。
そういうことでどういう形が一番最初の原型だったかも、
まだ定説がないのである。
で、それはそれとしていったいどんなものが入っているかといえば、
だいたいどの本も三通りの部分がある。一つは類纂的といって、
ある種類のものを並べた部分である。
・・・・・
遠くて近きもの、極楽。舟の路。人のなか。
・・・・・『遠くて近きものナアニ』『男女の仲』と
いうような、一種のなぞとき形式である。クイズでもあれば
知恵のあそびでもあるようなものだ。これが宮中のような、
一種のサロン、即ち気の利いた会話やその場の気分を享楽する
高級女性の社会では、なかなか重要なものだった。
いわば、『一座の興を買う』優雅俊敏な知性のはたらきである。
今日のとんち教室やその他のクイズ流行を思い合わせれば、
そうした遊戯が、どれほど人の心をのびやかにし、
気分転換に役立つか、説明の要もあるまい。」
はい。引用はこのくらいにしておきます(笑)。ここで、
清川妙著「あなたを変える枕草子」(小学館・2013年)の
「はじめに」から引用させていただきます。
「・・・・なかでも『枕草子』は、私の心を明るくしてくれる、
わが親友とも言える古典である。
少女時代にはじめて出会ったときから、私は、
作者、清少納言と波長が合うことを直感した。
当時の女学校の先生などには『知ったかぶりの生意気な女性』
として評判が悪かったこの人に、私は、かしこさがもたらす
意志的な明るさをかぎとり、すてきだな、と思ったのだ。
・・・・・・
清女(清少納言)が心をこめて仕えた中宮(のちの皇后となる)
定子(ていし)の実際の身辺は、不穏で不安定な空気に充ちて
いたからだ。しかし清女は、あえて光を見つめることに決めた。
鋭い眼力(めぢから)で物事を観察し、どんなことにも
喜びを得られるよう、精神を鍛えあげて。
『枕草子』を読めば読むほど、人は変わる。
明るい方へ、温かな方へ、楽しい方へ、幸せな方へと。
・・・・」
ちなみに、私はまだ枕草子を読んでいない。
山口仲美著「すらすら読める枕草子」(講談社・2008年)
の帯には「男と女のマナー集」とあり、さらに帯には、
「忍ぶ仲のマナー 人としてのエチケット
他を思いやり、感動する心」ともあります。
山口仲美さんは、プロローグをこうはじめております。
「『枕草子』は、三百近くの章段から成り立ったエッセイ集。
この本では、そのうちの40くらいの章段を選んで採り上げていきます。
どんな採り上げ方をしたら、現代人にも『なるほど面白い』と
思ってもらえるのでしょうか?
私は、『枕草子』を現在に生きる人々にも通用する
魅力的なエッセイ集として蘇らせたいのです。
そこで、まず、『枕草子』をエチケット集として読むことにしました。」
ついでに、
少年少女古典文学館『枕草子』(講談社・1991年)は
大庭みな子訳でした。その大庭(おおば)さんの「あとがき」には
「年齢によっておもしろいと思うところもちがう。・・・
わからないところはどんどんとばして、
わかるところだけ自由に読むがいい。これが読書の原則である。
わたしはずっとそのようにして本を読んで来たし、
ときにはまちがった読み方をしたこともあったかもしれないが、
自分の感性で読む力をいつのまにか独習したように思う。」
う~ん。
「枕草子」読書歴のたけた女性陣に
まずは、古典水先案内のお神酒をいただいた感じです。
これなら、65歳過ぎの「枕草子」を、読み始められそうです。