『大村はま』。この人をどう読んでゆけばよいのか?
思い浮かんだ言葉は『一隅を照らす』。
無理やり、全体を照らすわけじゃない。
とりあえず、古本で注文した
大村はま著「学習慣用語句辞典 普及版」三省堂。
なんとも黄ばみがはげしいのですが、それはそれ。
ちょっと、電車やバスの中でひらきたくなる一冊。
この「はじめに」から大村はまさんの言葉を引用。
「 ことばの勉強というと、このことばは、こういう意味と、
別の少しやさしそうな日常的な、前から知っている
ことばで言い換えようとします。
しかし、それでは、ことばを使って生きていく人間の
力にはならないのです。ことばは、生活場面のなかで、
じかに出会って学ぶべきものです。
いろいろの生活場面、いろいろな話題を取り上げていますが、
どれもみな、実際の生活場面、事実から、材料をとりました。 」
うん。ここでは「はじめに」だけを引用してゆきます。
「ことばには、いくつかのことばがいっしょになると、
その一つ一つのことばが、それぞれ持っている意味とは違った、
別の意味を表してくるものがあります。・・・・・・・・
特に勉強の機会がないと、『顔・ひろい・筆・たつ』という
ことばをよく知っていても、この一まとまりのことばとしては
わかりません。
昔、なにかの場面で、ある人が、あの人にもこの人にも、
親しそうに声をかけているようすを見て、
だれかが、『顔がひろい』という言い方をしたのでしょう。
それが、その場面のその人のことを言うのにぴったりした
表現に思えた人があって、次に同じよう場面があったときに使い、
それがまた人の共感を呼び、だんだん、広く、たびたび使われる
ようになって、こういう意味が定まってきます。
いつからとも、だれが作ったともなく、
生活の中から慣用語句が生まれます。・・・・
実際には、教訓があるといえばあるような、
ないといえばないような、区別のつけにくいのがあります。
・・・・・
この辞典の大きな特色は、中学生の話し合いの形で、実際の
生活場面で使われているすがたで、生きたことばのまま、それぞれの
慣用語句の意味と使い方とを身につけられるようにしたことです。
これは、もともと、『国語教室通信』という、
私の国語教室の週刊手作り新聞の一部分に連載したものです。
『このごろの子どもは、ことばを知らない』となげくのを聞くとき、
それが慣用語句である場合がかなり多く、
教科書には、案外出ていないので、この『国語教室通信』の
一部を使って、慣用語句に通じさせようとしました。 」
「 巻末に、参考までに、説明をつけました。
前の話し合いを読み、この説明を読み、また、
もどって、前の話し合いを読んでくださったら、
いっそうよくわかると思います。・・・ 」
はい。この古本を手にして、こうして書いていると、
サン・テグジュペリ「星の王子さま」のセリフが思い浮かびました。
『 うん、こんなのが、ぼく、ほしくてたまらなかったんだ。‥ 』