BSで小津安二郎の「お早よう」と「秋刀魚の味」を
録画して観ました。
うん。今まで受けつけなかった小津映画が私に
ストンと腑に落ちる。年齢のせいかもしれない。
小津映画の鑑賞年齢にようやく近づいたのかも。
気になって、「小津安二郎 人と仕事」(蛮友社)をひらく。
映画「お早よう」について、ご本人の弁。
「『 芸術院賞を貰ったからマジメな映画を作った
と言われるのもシャクだから・・・ 』
とオナラの競争をする子供たちが登場する映画。
しかし古くからあたためていた主題で、
人間同士というものは、つまらないことをいつも言い合っているが、
いざ大切なことを話し合おうとするとなかなか出来ない、
そういうことを映画にしたかったのだと言う。 」(p636)
映画「お早よう」は、昭和34年封切り。小津安二郎56歳の作品。
昭和37年。小津59歳。「秋刀魚の味」封切。
「ここでも婚期の娘と、見送る父親の平凡な心情を、
枯淡な芸風で描いて、そのたびに微妙な陰影のちがいを見せた。
そして最後の作品となった。54作目である。
そのうち27作の協力者であった野田高梧は
『 これがオッちゃんの遺作では可哀そうだ 』と言った。」(p684~685)
学生時代の先生役で、戦後ラーメン屋をしているのが東野栄治郎で
今度見ると印象深かった。その娘を杉村春子。
岸田今日子も、岩下志麻も、スッと蓮が伸び咲いたようなすがすがしさ。
昭和38年。60歳。
12月11日 容態悪化、すでに死相あらわれる。
12月12日 満60歳誕生日、還暦の日、12時40分死去。腮源性癌腫。
「ぼくの信条」(「彼岸花」撮影中の座談会で)昭和33年
「 ぼくの生活条件として、なんでもないことは流行に従がう。
重大なことは道徳に従がう。芸術のことは自分に従がう。
どうにもきらいなものは、どうにもならないんだ。
これは不自然だと百も承知で、しかもぼくはきらいだ。
そういうことはあるでしょう。
理屈に合わないが、きらいだからやらない。
こういうところからぼくの個性が出てくるので、ゆるがせにはできない。
理屈に合わなくとも、ぼくは、そうやる。 」(p628~629)