吉田光邦著「日本の職人像」(河原書店)をパラパラですが、
最後まで読めた。これはブログ書き込みが弾みになりました。
途中メモ書きして読みすすむように、ブログで更新して読む。
これが自分に合っているように思えてくるから、不思議です。
さて、本の最後の方に小林作太郎を紹介されておりました。
「この職人ー職工の過渡期に生きた人の一例として
小林作太郎をあげることができよう。
彼は明治2年、長崎に生まれたが生まれながらの
機械好き、細工好きであった。
11歳の時、そのころはまだ珍しいものとされていた
柱時計を分解し、またこれを組立てることに成功した。
この注意深さと器用さは、作太郎の全くの天性であった。
そしてやがて人びとから時計修理を依頼されて
一人前の時計工となってしまった。・・・・ 」(p193)
こうはじまる経歴は、ついつい引用したくなりますが、
ここは、飛ばして
「彼は明治37年、アメリカに赴いて海外での工場の実態にふれた。」(p196)
そこからの比較に、ちょいと面白い箇所がありました。
「また日本の職工はひとつの仕事を長くつづけることを嫌う。
持続した仕事にむかず、すぐ何か新奇の仕事を希望する。
この連続して同じ仕事ができぬことは日本職工の大欠点だ。
さらに日本の職工は器用すぎる。
ひとつの技術をマスターすると、
すぐ自分の家の床板などをはがし、
そこに簡単なエンジンなどをすえつけて、小工場を発足させる。
そして立派な工場製品とさして大差ないものをうまく作ってしまう。
もちろん工場製品よりずっと安い。・・・・・
彼はまた一方では学歴あるものの欠点をも注意する。・・ 」(p197)
はい。この箇所を読んだら、笑ってしまいました。
当然のように自分は不器用で職工にもなれない者なのですが、
『 持続した仕事にむかず、すぐ何か新奇の仕事を希望する。 』
この指摘は、何だか自分のことを指摘されているようで困惑しちゃいます。