和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

庭掃除から思う露地。

2023-12-15 | 思いつき
70歳が近づくまで、庭の手入れなど考えたこともありませんでした。
はい。庭とは縁遠い家庭の育ちでした。けれど、妻の実家には庭がある。
そしてそれが、主なき家になったときに、庭の手入れがはじまりました。
はい。突然に庭を持った。ということになります。

とてものこと、庭師に手入れを依頼する甲斐性もなく、
コロナ禍で、出かけることも少ない折から庭の手入れ。

この水曜日(13日)も、そんな手入れ日和でした。
足元のツワブキが枯れたと思えば山茶花は満開です。

チンタラチンタラと雑草取りと枝払いをするのですが、
その日は、簡単な粉砕機で、刈り取った枝を砕く作業。

根が怠け者ですから、ボケっと庭を見ていたりします。
すると、作業中も、その後にもあれこれ思うのでした。

今日になって、「茶室を囲む露地(庭)」が思い浮びました。
そのまえに、古本で買ってあった未読本並べ。

「藤森照信の特選美術館三昧」(TOTO出版・2004年)
「足立美術館 日本庭園と近代美術」(山陰中央新報社・昭和55年)
「庭園日本一足立美術館をつくった男」(日本経済新聞出版・2007年)
白崎秀雄著「北大路魯山人」(文藝春秋・昭和46年)

以上4冊を、今月はひらけますように。
ここには、吉田光邦「茶の湯の工芸」(吉田光邦評論集Ⅱ)
から「茶室を囲む露地(庭)」について書かれた箇所を引用。

「この数寄屋としての茶室を囲む露地(庭)をつくるのは庭師、造園師である。
 露地には井泉、つくばい、飛石、燈籠など、
 茶の湯に必要な物が定まっている。
 しかしつくばいの形、燈籠の形、配置などは
 
 すべて自由なのだ。そこに造園の苦心がある。

 さらには庭はいつも手入れし、
 大自然の凝集である特質を保ちつづけねばならない。

 12月には霜よけや雪がこいをし、敷松葉をして苔を守る。
 冬の間には木に肥料を与え、3月、春も近づくと敷松葉などを
 とりのける仕事がある。

 垣根を結い、竹樋をかけ、刈りこみ、灌水などと、
 自然はいつも十分な管理をすることで、
 はじめてその生命は生かされてくる。・・・・ 」(p117)

うん。庭から脱線してゆきますが、
最後にはこちらも引用したくなります。

「これらのハードウェアばかりでなく、
 茶・菓子といったソフトウェア系のものにも、
 それぞれの工人の苦心が払われていることはいうまでもない。

 よい味の茶、そのためには品種の改良、栽培法などに、
 多くの研究と試みがつづけられてきた。

 さらにはほのかな甘さをたたえる菓子に対する
 さまざまのデザインと工夫。京菓子のもつ独自の美しさと味は、この
 茶の湯の世界できずきあげらたものが、ひろく拡散していったためである。

 生菓子はいきものである。そこで茶会の日、時間にまで合せて
 そのとき最もすぐれた味となる菓子も作られる。原料の配合、味ばかりか
 ながめたときの美しさをもたえず念頭において、
 菓子作りの人たちはデザインする。

 そのほか炉でたかれる炭もまた遠い山中の人びとの
 手で焼かれていることを忘れてはなるまい。・・・・・  」(p118)


はい。こんなことが思い浮かぶような仕事ぶりなので
いつまでたっても主なき家の庭の手入れは進みません。
さきの4冊も、どうひらてゆくのか、ひらかないままなのか。
庭の手入れ同様に、はかどらないかもしれないし。

とりあえず、主なき家の庭掃除は、今年はこれでおしまい。






コメント (3)
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