テレビ天気予報で、日本全図が画面に表示されます。たしか、
東日本大震災の後、その画面に海溝が示されるようになった。
以来、日本の沿岸の海中に、黒い深淵があると毎日実感する。
吉田光邦著「京のちゃあと」(朝日新聞社・昭和51年)の
あとがきは、こうはじまっておりました。
「 チャートとは海図である。海図をご存知だろうか。
それは陸地については、海上の船から目標になるような
山、岬、立木などが描かれるにすぎぬ。
そして等高線は海についてはくわしく描かれ、
海中の岩、岩礁のたぐいも細密である。
陸地を精細に描いたマップと海にくわしいチャート、
その対比はいえばネガとポジの関係にある。
わたしが描こうとしたのはマップではなかった。
マップは京都を客観視しうる立場の人びとによって、
すでにいくらも書かれている。しかし京に住むものならば、
そのマップと対照的に視えるものがいくつもある。
そこから描きだしてみたチャート・・・ 」(p283)
このあとがきに写真家・遠藤正さんのことが書かれておりました。
「 半年をこえた連載は忙しかったけれども、
わたしの30年をこえる京での生活をふりかえってみるいい機会であった。
写真の遠藤正さんもずいぶん熱心に、はじめての京都を
縦横にとらえられた。テーマをめぐってたえず議論を
遠藤さんとくりかえした。いい思い出である。・・ 」(p284)
うん。この『京のちゃあと』はのちに、
朝日選書215の吉田光邦著『京都往来』(1982年)と題名をかえて出版。
朝日選書には、残念ながら遠藤正さんの写真は載っておりませんでした。
はい。私はどちらの本文も読んでおりません。おりませんが、
単行本に載る45枚の遠藤正さんの写真はめくっておりました。
その印象は鮮やかでした。
ここでは一点の写真を紹介。『節分の日の京大前のにぎわい』とあります。
奥に大学の時計台がみえます。時計下に「竹本処分」と少し文字がみえる。
前景は道路に面してテキヤの屋台。たこやき・とうもろこしと横幕がみえ、
瀬戸物屋も出ているようです。学内からは高々と大学のサークルの立看板
「OPEN SKI 場所信州戸狩・・・」「京大スキーフレンズ」などがある。
さて道路の人ごみをけちらすように、学生運動でしょうか、
赤に白い色がまじった旗を掲げ、赤ヘルメット・黒ヘルメットに
タオルで鼻口を隠した学生の一団が通り過ぎてゆく。
まるで、京のにぎわいの中に、僧侶の一団が恣意運動をくりひろげている。
はたまた、武士団が威圧ぎみに通り過ぎてゆく、一瞬覚えるそんな味わい。
はい。吉田光邦の本文は気が向いたらひらくことに。