単行本を買ってあると、それが文庫本になっても、
つい億劫で、買わないでいることが多いのでした。
けれども、その文庫が古本で手にはいるとなれば、
話は別で。さっそく買うことに。
黒岩比佐子著「パンとペン」(講談社文庫)。
お目当ては、解説で、梯久美子さんが書いてました。
その解説のはじまりは
「よい本には、よい書評が書かれる。
本書が2010年10月に単行本として刊行されたとき
新聞や雑誌に掲載された数多くの書評を読み返し、
改めてそう思った。・・・」(p625)
この本には副題があって
「社会主義者・堺利彦と『売文社』の闘い」とあります。
解説の梯(かけはし)さんは、その売文社にも
ふれておられました。
「それにしても売文社とは、何と人を食った
痛快なネーミングであろう。売文、つまり
生活の糧を得るために文章を売ることが、
現在よりもずっと賤視(せんし)されていた時代である。
それを、思想に殉じるのが当然とされる社会主義者の
長老格であった堺が堂々とかかげたのだ。
顰蹙も買ったが、真似をする者もあり、
各地で売文社を名乗る会社が生まれた。
『あとがき』によれば、黒岩さんが本書を著わす
ことになる最初のきっかけも。売文社という語の
強烈なインパクトに惹かれたことだったという。 」
「売文社は、新聞、雑誌、書籍の原稿をはじめ、
意見書や報告書、趣意書から広告コピー、書簡まで、
あらゆる文章の代筆および添削を行い、また各国語の翻訳も請け負った。
日本初の編集プロダクションであり翻訳会社である。
そのユニークな活動内容については、
本書の第六章から八章にくわしく書かれており、
ここで説明する必要はないだろう。この三つの章は、
知的興奮に満ちていて、何度読んでも実に楽しい。
堺と売文社が残した。文学史には載っていない
意外な足跡を、著者がさまざまな資料との出会いによって
発見していく過程を、読者も共有することができる。 」
うん。内容は私のことですから、すっかり忘れていたのですが、
ここですよと、スポットライトをあててくれたような解説です。
この梯久美子さんの解説でわすれがたい箇所がありました。
「黒岩さんのパソコンには、
『 慢心するな。オマエは何サマなのか。
謙虚に、慎重に、丁寧に 』
と書かれたメモが貼ってあったという。
謙虚、慎重、丁寧――黒岩さんはまさに、
そのように書き、そのように生きた人だった。
事実を書くということに対して、
彼女ほど誠実な人をほかに知らない。
この解説文を書くために本書を読み返し、
この清潔な文体は彼女そのものだと改めて思った。」(p633)
うん。『本書の第六章から八章に』ですね。
今度、あらためて読みなおしてみます。
そういう意味でも、優れた書評は何よりの広告になりますね。私なども本を買う時は書評を読んで買うことが多いですから。最近はブックレビューかな。
コメントありがとうございます。
私は、古本を選ぶ時には、
題名と、著者名に目がいきます。
ネット注文が主なので、
安い駄菓子のような気分で選びます。
本の中で思わぬ出合いがありますね。
単行本を買っていながら、文庫本を「億劫で買わない」
億劫!?と一瞬。そんな勿体なことを、などと。
でも、そうでしたそうでしたと思い当たりました。
文庫本の「解説」ですね。
古本でなくても、単行本で読んだものが文庫化されて、解説を立ち読みしてしまうことあります。
コロナ禍、「立ち読みをお断りします」とやけにアナウンスされますが。
売文社、教えていただきました。
文を売っていた会社があったのですね。活動など知りません。
梯久美子さんの新著『この父ありて』を取り上げた新聞記事、
切り抜いたものの昨日読めなかったので、今朝目を通したところでした。
コメントありがとうございます。
梯久美子の作品は一冊
「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道」
を読んだくらいだったと思います。
この頃、新刊を買おうとすると、
この値段で、古本なら何冊買えるなどと
つい思ってしまいます(笑)。
そうして買わずに時すぎ、
また古本として再会する。
そうそう、この本だった。
そんなんことを、何度か
繰り返す年となりにけり。
ここで、『けり』がつく。