和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

現代の職人気質?

2023-12-09 | 短文紹介
「吉田光邦 両洋の人 88人の追想文集」(思文閣出版・1993年)。
最後の方に略年譜があります。1921年(大正10)~1991年(平成3)。
愛知県西春日井郡に出生。とあります。

さてっと、ここで吉田光邦著「日本の職人像」のおさらい。
まず、どうして私がこの本をひらいたのかというと、
臼井史朗氏のこの言葉でした。

「吉田光邦氏『日本の職人像』は非常に面白い力作だと思った。
 平安から現代まで・・・それぞれの職人気質を・・
 面白く系統的に書いている。名著だと思った。 」
        ( p87 「疾風時代の編集者日記」淡交社 )

うん。その面白さを説明するのに、この一冊からだけじゃ私の手に負えない。
田中一光氏の追想文に、その秘密の一端が披露されていました。
ちょっと長いのですが、的を射た場面を回想されています。

「昭和43年だったか、大阪万博の政府館の歴史パビリオンの
 デザイナーに指名されることになり、作家の今日出海先生を中心に、
 毎月展示物の会議が繰返された。その都度、

 専門の歴史学者がアドバイザーとして出席されるのだが、
 研究分野の領域が狭く、とても縄文、弥生から、明治維新まで、
 通観して教えて貰える学者が見当たらず、締め切りを間近に
 展示計画書を出せずに途方に暮れていた。

 私は思い切って京都に行くことにした。
 これは吉田(光邦)先生をおいて他にないと思ったからである。

 その時の吉田先生の見解は見事なものであった。
 私の頭の中にもやもやしていた日本史が一条の光のように繋がって
 見えてきた。これほど嬉しく、また興奮したことはない。 」
     ( p52 「吉田光邦 両様の人 八十八人の追想文集」 )


さてっと、ここからおもむろに『日本の職人像』の最後を引用して
おわることに。そこでは『現代の職人』を定義して終わるのでした。
そのすこし前から引用。

「かつての職人はその全生産大系を自分で管理していた。・・・
 しかし現代の量産機構のなかに生きる人びとはそうはゆかない。」(p207)

このような観点から説き起こして、この本の最後に至ります。
はい。その最後を引用。

「そこで今も仕事に情熱的であり忠誠を傾けるのは芸術家だとか、
 プロ野球の選手だとか、学者たち、研究者たち、文筆家たちに
 多くみられる理由が分るだろう。

 彼らはすべて現代の職人なのだ。自分の手で仕事をし、
 誰にも助けられず個人の才能だけで勝負しなければならぬ。
 個性のみで勝負しなければならぬ。そしてその結果がどんな
 意味を社会に対してもつかを、彼らはほぼ予測することができる。

 こうみればこの人びとにこそかつての職人気質に似たものが
 よく残っていることも当然となろう。

 仕事を第一に考え、ほんものを何よりも重んじにせものをきらい、
 気に入れば懸命に仕事をするが、気に入らねばなげやりとなる。

 いささか狭量で広い世間についてよく知らぬし、またあまり気にもせぬ
 ――こうした特徴はまことによくかつての職人たちにあてはまるではないか。

 それも結局は孤独にひとりで仕事をつくりあげて
 ゆかねばならぬ上から生じた結果である。
 職人はどこまでも個人であった。
 職人気質とは仕事の上の個性の主張ということであった。

 ただその主張が消費者に対する奉仕の精神をもって
 包まれねばならぬところに、職人の運命的な寂しさがあったのである。」
      ( p209 吉田光邦著「日本の職人像」河原書店・昭和41年 )



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