そういえば、津野海太郎著「おかしな時代」(本の雑誌社)を
ひらくと、劇団と津野さんとの関連がわかる。そして、
劇団ということなら、吉田光邦氏とつながる。
うん。この点が面白そうなので引用を重ねます。
西村恭一氏の吉田光邦氏への追悼文に、
演劇にかかわる吉田氏のことがわかるのでした。
「吉田(光邦)先生が当時龍谷大学予科の教授で、演劇部の顧問で・」
(p55 「吉田光邦両洋の人 八十八人の追想文集」)
そのころは、どんな感じだったのか。こばやしひろし氏は書いてます。
「『詩の朗読と劇の会』は図書館の講堂でやった。・・・
光邦さんも誰の詩だったか忘れたが朗読された。
それが下手なのである。実に下手な朗読で何をいって
おられるのか伝わらないのだ。ところが本人は気を入れて
おられるつもりだから始末に悪い。・・・・
残念ながら当日まで下手だった。少なくとも
リズム感のある人ではなかった。
舞台に立たれたのはそれだけで後は役者をやるわけでもなし、
演出をやるわけでもない。ただ私たちの稽古を見ておられるだけである。
こちらが行き詰まると『こうしたらどう』と助けを出されるが、
それが助けにならない程度のご意見である。
それでも大道具を手伝ったり、効果を手伝ったりされ、
私たちと舞台を創ることを楽しんでおられた。・・ 」(p48 同上 )
はい。ここからが本題「知的生産のための『技術』」となります。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」は、イマイチ『技術』という箇所が
わからないでいた私なのでした。
梅棹忠夫著「対論『人間探求』」(講談社・昭和62年)のなかに
吉田光邦氏との対談「産業技術史の文明論的展開」が載ってます。
はい。最後にこの対談から、この箇所を引用しておきます。
小見出しには「技術にささえられた大衆社会」とある。
吉田】 これまで財界人ばかりせめましたが、このことは
日本人に共通のことのようにおもいます。
日本の社会が大衆社会だといわれていますが、
大衆社会が成立しているのは技術があるからこそなんです。
大衆にマイクとスピーカーでよびかける
技術がなかったらできないわけです。そういう
おおくのマスコミュニケーションというものが動く。
つまりそれまではロンドンのハイドパークで自分の
のどをふりしぼって政治演説してるマスと、
現在のマイクやスピーカーをつかてやるマスとでは、
到達するレベルがちがうでしょう。いわば大衆社会を
つくりあげるひじょうに大きな役割をもつわけです。
もちろんテレビ、ラジオ、新聞、印刷、ぜんぶ技術があるから、
大衆社会ができてきた。だから大衆社会というのは、
社会学的現象ではあるが、同時にそれは
技術にささえられてうまれた現象なんでしょう。
ところが、案外そこがスポッとおちてるんです。
大衆社会論は山ほどあるけれども、
それは技術でできあがっているという認識がない。 (p117~118)
このあとでした。演劇の場面からの例を吉田光邦氏は語り
なんともわかりやすかったのです。
吉田】 ほんとにふしぎなんですよ。たとえば伝統芸能といわれる
能・歌舞伎だって、今日はぜんぜんちがうんです。
現在の坂東玉三郎や片岡孝夫の人気は、
あたらしい照明とあたらしい舞台機構にささえられているんです。
江戸時代の歌舞伎では、百目ろうそくをならべて、
その突きだしたろうそくの光で顔を照らしていたわけです。
・・・・・
いま大劇場のうえにいくと、ものすごいスイッチ・ボードがあるんです。
そのスイッチ・ボードに専門の技術者がいてやるから、
玉三郎も映えるわけです。その事実が完璧におちている。
そういう認識が完全におちて、そして歌舞伎は歌舞伎、
能は能で、これこそ伝統芸能だということでやってるわけでしょう。
それがおかしいんです。
梅棹】 それが中世から現代までおなじものとしてかんがえとるから、
ほんとうにおかしい。たしかに、ある種の伝承があって
おなじ部分がある。それはあるんです。
しかし、それをささえてる条件というのが、
過去と現在とではすっかりかわってる。
吉田】 逆にいえば、そういう条件があるからこそいけるんですよ。
京都の南座でも2400人はいるわけでしょう。
それがはいるから、歌舞伎興行が成立するんです。
むかしの二、三百人ではいまの歌舞伎は成立しないんです。(~p119)
はい。対談はこのあとが佳境にはいるのですが、ここまで(笑)。
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