大正12年9月19日調べの震災状況調査表(安房郡)で、
焼失戸数を見てみると、
北條が18件。館山が55件。そして
船形が340件と多い(安房郡全体での焼失戸数424件)。
手許に「安房郡船形町震災誌」(田村シルト芳子・2012年)があります。
その、あとがきを紹介。
「・・・あまりに激しい揺れに人々は仰天し、慌てふためき、
津波の襲来を恐れつつ、身一つで山や高所を目指して、
道路側に倒れた家々を踏み越えてひたすら走った。
不幸にして、折りしも秋鯖の節の火入れをしていた、
(注:秋鯖の節とは、鰹節を作る要領と同じ? )
西の外浜近くのいさばから出火。瞬く間に、炎火は西、
仲宿、東地区の家々を次々と焼き尽くした。
また、地は割れ、線路は曲がり、土地が隆起して
海岸線は遠のき、新たな砂浜が出現し、ために
港や堤防は機能しなくなった。
この天変地異が起きたのは、町の鉄道開通から5年後のことである。」(p58)
この船形町震災誌の説明もあります。原本は手書きのガリ版刷りで、
印刷された和紙は二つ折りにして、こよりで綴じられている。
「 当時の船形高等尋常小学校の忍足清校長の下、
教師たちが町の被災状況を自ら詳細に調査してまとめたもの 」
「 わが父・田村正は、昭和10年代半ばに訓導として同校に勤務した折に
それを一部入手したようで・・・ただ、印刷が不明瞭の箇所が多く、
通読は困難な故、改訂版を出すことを思いたった。・・・
2012年新春 編者 」(p58)
さいごに、この冊子のはじめの方から引用しておくことに。
「町民の多くは昼餐に向かわんとする午前11時58分、
異様な音響と共に天地振動し、怒濤に弄(もてあそ)ばるる
木の葉の如く見えし家屋は、一瞬にして倒壊し終わりぬ。
『地震、地震』と戸外に飛び出し、あわてふためく折柄、
一回目で家屋全壊す。二回、三回と数分ならず激震至り、
傷つきし者、死する者、親を求むる子、子を呼ぶ親・・・・・
その混乱裡に町の西方より火災起こり、
吹き荒む西南風に煽られ、炎々たる紅蓮は
家より家へ燃え移り、火炎砂塵を巻き、
風向火勢を伴い、本町の大半を焦土と化す。
時しも≪ 海嘯襲来 ≫の流言頻りに至り、
為に脅かされ家財道具の一物をも持たず、
子を負い、老いの手を取り、負傷者を助けつつ
北方の丘を目指して避難する騒擾混乱、真に名状しがたし。 」(p4)
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