長編本など、まず読まないので、
ちと、本から離れていると、
さて、読もうとすると、なかなか読み始められない。
まあ、小さい頃から本とは無縁の生活でしたから、
それも、仕方の無いところなのでしょう。
ということで、簡単にパラパラとめくれる
関厚夫著「一日一名言」(新潮新書)を読みました。
2~3行の名言と、その解説で1ページ。それが365日分。
きになる名言があれば、その解説を読んで、
あとは、とばして読み進みました。
その2月22日には、こうあります。
「 一日一日が小さな一生なのだ。
毎日毎日の起床が小さな出生、
毎夜の臥床就寝が小さな死なのである。 」
1788年、ショーペンハウエル生れる
ちなみに、関厚夫氏の解説のはじまりはこうでした。
「『舞姫』の主人公、太田豊太郎の本棚にはその著作が並んでいた、というから、作者の森鴎外の書斎もそうだったのだろう。・・・冒頭は『幸福について――人生論』の一節だが、ドイツ人哲学者、ショーペンハウエルには・・・・」
う~ん。そういえば、元旦をとうに過ぎたのに、いまだに、そこいらでうろうろしている気分でおります。ということで鈴木一雄・外山滋比古編の「日本名句辞典」(大修館書店)をひらいてみました。そこから引用。
一年の計は元旦にあり (諺)
「一年の計画は元旦に立てるべきだということから、物事は最初の計画が大切だという意。『一年のはかりごとは正月にあり。一月のはかりごとは朔日(ついたち)にあり。一日のはかりごとは朝にあり』(譬喩尽)などともいう。もっとも、心機一転したつもりが三日坊主に終わることも多いのだが。」
三日坊主とありますから、せめて引用も三つにしましょう。
司馬遼太郎著「風塵抄」の56「新について」。
はじまりは、
「新年らしく、以下は、新の字について。
この漢字は、語源的には、木ヲ斤(き)ルということから出た。故藤堂明保氏によると、
木の切り口のなまなましさをあらわすという。切ったばかりの木の切り口は、樹液にぬれて、吸いこんでみると、いのちがよみがえるような香気を放っている。」
そのあとに、殷を興した湯(とう)という王について、語られております。
「湯王は名臣伊尹(いいん)の補佐をうけた。伊尹は、
『時(こ)レ乃(すなわ)チ日ニ新(あらた)ナリ』ということばが好きだった。
徳を古びさせるな、ということである。徳とは、人に生きるよろこびをあたえるための人格的原理といっていい。・・・伊尹は、料理人出身だったといわれている。・・・」
「伊尹の王の湯(とう)は、毎朝顔をあらった。かれはそのための青銅製盤に、九つの文字を彫りつけた。その銘にいう。・・
苟(まこと)ニ日ニ新(あらた)ナリ
日日(ひび)新ナリ
又(また)日ニ新ナリ
新ということばが反復(リフレイン)されていて、こころよい。
この詩句には近代の憂愁や倦怠がなく、湯王が勢いよく顔を一洗して、おれはきのうのおれではないぞ、さらに一洗して、きょうはまたうまれかわったぞ、という素朴な明るさにあふれている。この話は、『大学』という本に出ている。・・・・
とくに日新ということばが、江戸期の日本人は好きだった。
たとえば、会津藩の有名な藩校が日新館であり、また近江仁正寺(にしょうじ)藩(滋賀県日野町)や美濃苗木藩の藩校も同名である。美濃高須藩の場合、日新堂だった。・・・」
昨日、関厚夫著「一日一名言」をパラパラと読んで、今日は、関連して思い浮かんだ本を引用しました。三日坊主にあらずして、三題噺でもって、何とか四日へと。いやいやそうじゃない(笑)。日日新ナリ。又日ニ新ナリ。
昨日、2年任期の役に、御役御免となり、
任期は3月末まであるのですが、正式に発表して、
これでひとくぎり。たのしい2年でした。
ということで、日日新ナリ。又日ニ新ナリ。
ちと、本から離れていると、
さて、読もうとすると、なかなか読み始められない。
まあ、小さい頃から本とは無縁の生活でしたから、
それも、仕方の無いところなのでしょう。
ということで、簡単にパラパラとめくれる
関厚夫著「一日一名言」(新潮新書)を読みました。
2~3行の名言と、その解説で1ページ。それが365日分。
きになる名言があれば、その解説を読んで、
あとは、とばして読み進みました。
その2月22日には、こうあります。
「 一日一日が小さな一生なのだ。
毎日毎日の起床が小さな出生、
毎夜の臥床就寝が小さな死なのである。 」
1788年、ショーペンハウエル生れる
ちなみに、関厚夫氏の解説のはじまりはこうでした。
「『舞姫』の主人公、太田豊太郎の本棚にはその著作が並んでいた、というから、作者の森鴎外の書斎もそうだったのだろう。・・・冒頭は『幸福について――人生論』の一節だが、ドイツ人哲学者、ショーペンハウエルには・・・・」
う~ん。そういえば、元旦をとうに過ぎたのに、いまだに、そこいらでうろうろしている気分でおります。ということで鈴木一雄・外山滋比古編の「日本名句辞典」(大修館書店)をひらいてみました。そこから引用。
一年の計は元旦にあり (諺)
「一年の計画は元旦に立てるべきだということから、物事は最初の計画が大切だという意。『一年のはかりごとは正月にあり。一月のはかりごとは朔日(ついたち)にあり。一日のはかりごとは朝にあり』(譬喩尽)などともいう。もっとも、心機一転したつもりが三日坊主に終わることも多いのだが。」
三日坊主とありますから、せめて引用も三つにしましょう。
司馬遼太郎著「風塵抄」の56「新について」。
はじまりは、
「新年らしく、以下は、新の字について。
この漢字は、語源的には、木ヲ斤(き)ルということから出た。故藤堂明保氏によると、
木の切り口のなまなましさをあらわすという。切ったばかりの木の切り口は、樹液にぬれて、吸いこんでみると、いのちがよみがえるような香気を放っている。」
そのあとに、殷を興した湯(とう)という王について、語られております。
「湯王は名臣伊尹(いいん)の補佐をうけた。伊尹は、
『時(こ)レ乃(すなわ)チ日ニ新(あらた)ナリ』ということばが好きだった。
徳を古びさせるな、ということである。徳とは、人に生きるよろこびをあたえるための人格的原理といっていい。・・・伊尹は、料理人出身だったといわれている。・・・」
「伊尹の王の湯(とう)は、毎朝顔をあらった。かれはそのための青銅製盤に、九つの文字を彫りつけた。その銘にいう。・・
苟(まこと)ニ日ニ新(あらた)ナリ
日日(ひび)新ナリ
又(また)日ニ新ナリ
新ということばが反復(リフレイン)されていて、こころよい。
この詩句には近代の憂愁や倦怠がなく、湯王が勢いよく顔を一洗して、おれはきのうのおれではないぞ、さらに一洗して、きょうはまたうまれかわったぞ、という素朴な明るさにあふれている。この話は、『大学』という本に出ている。・・・・
とくに日新ということばが、江戸期の日本人は好きだった。
たとえば、会津藩の有名な藩校が日新館であり、また近江仁正寺(にしょうじ)藩(滋賀県日野町)や美濃苗木藩の藩校も同名である。美濃高須藩の場合、日新堂だった。・・・」
昨日、関厚夫著「一日一名言」をパラパラと読んで、今日は、関連して思い浮かんだ本を引用しました。三日坊主にあらずして、三題噺でもって、何とか四日へと。いやいやそうじゃない(笑)。日日新ナリ。又日ニ新ナリ。
昨日、2年任期の役に、御役御免となり、
任期は3月末まであるのですが、正式に発表して、
これでひとくぎり。たのしい2年でした。
ということで、日日新ナリ。又日ニ新ナリ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます