和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

井上靖の詩。

2010-04-28 | 詩歌
水曜日は、東京へ用事ででかけることが多いのでした。
片道2時間くらい。
今日は、行きはバス。帰りは電車。
まあ、ほとんど寝ているわけですが、
本をもってゆきます。今日は、旺文社文庫の「自選井上靖詩集」を
ポケットに。居眠りばかりだったのですが、帰りの電車でひらいておりました。

ちゃんと、通して読んだことがなかったので、よい機会。
たとえば、詩「二つの絵」は、こうはじまります。

「青春の絵では二十二歳の青木繁が描いた『海の幸』が好きだ。
 大きな獲物をかついで波打際を歩いて行く漁師たち。
 金色の空、群青の潮、足もとには白い波が砕け・・・」


今回私が興味をもったのは、詩の「雪」と「心衰えた日に」。
まあ、とりあえず、並べてみましょう。

  雪 

 ――雪が降つて来た。
 ――鉛筆の字が濃くなった。

こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
十何年も昔のこと、「キリン」という童詩雑誌でみつけた詩だ。
雪が降って来ると、私はいつもこの詩のことを思い出す。
ああ、いま小学校の教室という教室で、
子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。
この思いはちょっと類のないほど豊穣で冷厳だ。
勤勉、真摯、調和、そんなものともどこかで関係を持っている。


   
  心衰えた日に

書くべき何ものもない日――と、ある詩人は歌った。
書くべき何ものもない日――と、私も原稿用紙の上に書く。

八日間、車窓から白い幹と緑の葉の林ばかりを見た。
見渡す限り白樺の原始林だった。
それから五カ月経った十一月のいま、
一枚の葉もなくなったシベリアの白樺の林には、
毎日のように、こやみなく雪は落ちているだろう、
いまこの時も。この想念ほど、私を鼓舞するものはない。

書くべき何ものもない日――と、私も書く。
原稿用紙の上に、こやみなく雪が落ちている。



初期の井上靖の詩しか知らなかった私には新鮮でした。
そうそう。行きにガムをチリ紙につつんで、ポケットにしまったのですが、
ちょうど、そのポケットに文庫があり、帰ってから取り出したら、
文庫の裏にガムがこびりついていたのでした。
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