「日本わらべ歌全集19下」(柳原書店)は、「山口のわらべ歌」でした。
本の帯には、この巻を語った、古田足日さんの短文が載っていました。
「 著者の一人内田伸氏は豊かな学識とともに、
慶応生まれの祖母から聞き覚えたわらべ歌を、
今でも150曲は歌えるという。
この一冊は後世に伝えようという氏の成果であり、
西の京山口の独自性を見事にとらえている。 」
はい。最初に載る『山口わらべ歌風土記』は、内田伸氏の文でした。
「 明治以降、中央政府に多くの大臣、大将を送った山口県は、
文学、芸能的なものを文弱であるとしてさげすむ気風があり、
それを温存し、育成しようとする気持ちを持つ者が少なかった。
実際、現在の山口には、他県に比して遜色のない
仕事歌や祝い歌の民謡、神事の芸能などがいくつも残っている。
それに気付く者がいないわけで、
良馬を見つける博労がいないのである。 」(p15)
はい。6ページの内田氏の文には、引用したい箇所がたくさん。
けれども、これだけにしときます(笑)。
それはそうと、食べ物に関する箇所を引用しておきます。
一つ冷や飯 ( 数え歌 )
一つ冷や飯 二つふくふく小豆飯
三つ見てもうまそうな おすし飯
四つよまし 五つ芋飯
六つ麦飯 七つ菜飯
八つ焼飯 九つこげ飯
十で豆腐屋の おから飯 ( 山口市 )p166
注:よまし = 麦を精白しただけのものは、
炊くのに長時間かかったので、
前の晩に炊いておいた。
これを『 よまし 』という。
そうだ そうだ ( 地口歌 )
そうだ そうだ
そうだ村の 村長さんの
惣領息子が 死んだそうだ
葬式まんじゅう 大きいそうだ
中にはあんこが ないそうだ ( 山口市 )p177
みかんきんかん ( 地口歌 )
みかん きんかん 酒のかん
親の言うこと 子がきかん ( 山口市 )p172
「 古くからよく言われる地口。
『 親の言うこと 』を小野田地方では
『 親の折檻 』という。この方が原形であろう。 」
【類歌】 蜜柑きんかん酒のかん、親父の喧嘩ハ私(わし)ア知らぬ。
ところで、内田伸氏の文に、真宗の教義に関連し
『 石川のわらべ歌 』の巻も見てほしいと指摘されておりました。
ということで、日本わらべ歌全集10上の『 石川のわらべ歌 』から、
食べ物に関する私の興味で引用したい箇所がありました。
「石川県は真宗大国といわれるとおり、とくにその開祖
親鸞の徳を偲ぶ報恩講(ほうおんこう:ふつうは「ほんこさん」)
が盛んである。・・・ 」(p174・「日本わらべ歌全集10上」)
はい。最後は、石川のわらべ歌から、報恩講のわらべ歌を2つ。
ねんねんとこに ( 報恩講 )
ねんねんとこに 報恩講
ご坊様呼んで
人参 牛蒡(ごぼう) シャキシャキなます
紫炒菜(しいな)のお華足(きそく) ぎんなん
( 松任市徳光町 )
注:「紫炒菜」は、松任から能美郡あたりかけ、欠かせない献立の一つ。
紫蘇の実(しいな)を生かし、香んばしくいった荒挽きの大豆、
ささかきの人参や牛蒡、こんにゃく、油揚げを加えた煮物。
「お華足」は、仏前のお供えを盛る器具。
ここではその供物、普通は餅。
そこな方しの ( 報恩講 )
そこな方(かた)しの報恩講(ほんこ)さま
大根(だいこ)の煮たがで勤まるそうな
おっちゃの方しの報恩講さま
人参 牛蒡に 山ね芋
椎茸にかんぴょうさん
穴の明いたの蓮根じゃ ( 鹿島郡鹿島町 )
注:『 そこな方しの 』= そっちの方の。
『 し 』は強意の助詞。
『 おっちゃ方しの 』= おのれ(自分)の方の。
『 山ね芋 』= 山芋
そのあとに、こうあります。
「 報恩講においては、食べることが、いかに楽しみであったかがわかる 」
( 以上は p176 「日本わらべ歌全集10上」 )