「京のおばんざい」(光村推古書院)は3人のリレー随筆。
秋山十三子・大村しげ・平山千鶴の3人が交代で、
四季の味を紹介しておりました。
この本のはじまりに松本章男氏が
「復刻のうれしさ」と題して書いております。
そのはじまりは
「昭和の戦後以来、京都の食文化を語る
さまざまな書物が世に出ているが、なかで、
この『おばんざい』を私は抜きんでた好著
だと思っている。・・・」
さてっと、本文のなかで、私は、
秋山十三子さんの文を選んで
読み印象に残りました(笑)。
そうすると、つぎにはこの方は、
どんな人なのだろうと思うのでした。
まあ、結局「日本の古本屋」さんで
古本を注文することにしました。
秋山十三子著「私の手もと箱」(文化出版局・昭和59年)
カバー帯付きで500円+送料360円=860円なり。
愛知県尾張旭市の永楽屋さんから送られてきました。
その本には著者の写真。その下に著者紹介。
秋山十三子(あきやま・とみこ)。
「1924年、京都祇園近くの九代続いた造り酒屋
『金瓢』に生まれる。京都府立第二高等女学校
高等科卒業。・・・」とあります。
はい。随筆の視点の位置関係がこれでわかる(笑)。
さっそく、この本の「冬 年の暮れ」の章をひらくと、
こんな場面がありましたので引用。
「・・・花街では今でも、お師匠さんに
二重ねの鏡餅をお届けして、あいさつをなさると聞く。
ずっと前の話やけど、まだわたしが小学生の頃、
たった一度だけ大きな大きなお鏡さんが、
事始めの日に届いたことがある。
お仏壇の前に、でんと供えられたお鏡さんは、
ある別家さんが持って来ゃはった。
そのお家では年々店も繁昌し、子どもも元気に育ち、
順調に発展していたのに、どういう風の吹きまわしか、
その年いっぱい悪いことばかり続いたという。
おまけにふと手を出した株で大損して、
それを気にやむ奥さんは病気になり、
二人顔を合すとけんかばかりしてはったそうな。
ところが十二月を迎えて二人とも気がつき、
来年こそ、もう一度、いちからやりなおすほかない、
と決心した。
『主家(おもや)から別家さしてもろたときの気ィで、
力いっぱい二人でがんばります』
言うて持って来ゃはったんや。
祖母はひそひそ声でわけを話してくれた。
そうか。大人の世界では
決心をお鏡さんの形にして表すのか、と、
幼いわたしはなっとくしたらしい。
今でもうちでは毎年お餅つきをする・・・・
何べんでも決心して、新しい年を迎えたい。」
はい。「年の暮れ」という文の最後を引用しました。
筆者のポジションがわかると、
坐りのよい読書になります(笑)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます