和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

善行堂から。

2010-09-03 | 短文紹介
山本善行氏の古本屋「善行堂」から、はじめての一冊を注文。
新刊:山本善行著「古本のことしか頭になかった」(大散歩通信社・1000円)プラス送料300円。ちなみに、善行堂の絵葉書がサービスでついてきました。

さて、そのあとがき「54歳になってしまった」とあります。
ふむふむ。その54歳がこう書いております。

「最近、私は、小説の中に出てくる古本とか古本屋さんが気になって仕方がない。架空の店であっても本であっても構わないのだ。
例えば、梶井基次郎の『泥濘』という小説では、神経衰弱気味の主人公が雪の降るなか古本屋めぐりをするところがあった。この主人公は『これを買うぐらいなら先刻のを買う』などと思いつづけ、何も買えない状態に陥るのだ。これはよくあることで、結局一番最初の古本屋さんに戻るということになる。私の場合は、それでも又買えず、永久運動になることもあるぐらいだ。」(p128)

古本屋へ直接に行くこともない私なので、
ここに紹介されている古本屋が架空の店であっても、
私にはちっとも、かまわない。というスタンスで読んでおりました。

そうすると、秋の古本祭りとして、こんな文がありました。

「秋は古本祭りが目白押しで、気になって気になって、何をしていても、こころが落ち着かない。大阪では天神さん、べんてんさん、京都では知恩寺境内で開催される。
ここまで書き出し、ちょっと気になったので、去年の・・読み返してみたら、やはり思ったとおり、ほとんど同じ書き出しではないか。そんな毎年毎年、同じことを繰り返している男が、今年も張り切って天神さんに行ってきました。」(p74)

そして、こう。

「大きな古本祭りの前は今でも緊張する。さすがにジョギングや袋詰めの練習などは止めてしまったが、腕立て伏せやイメージトレーニングは続けている。」(p37)

まるで架空の古本祭年中行事のページでもひらいているようです。
お仲間の言葉に共鳴している、こんな箇所もありました。


「高校時代からの友人であり・・ライバルでもある岡崎武志の・・本のなかに・・『古本買いはいつもそうだが、荷物が重いと心が軽い』。そうなんだよなあ。」(p54)


なんともはや、ため息が出るじゃありませんか。
では、歌いだす瞬間(笑)。

「去年の春のある日、私は天神橋筋にある古本屋・天牛書店の前に立っていた。大好きな、文庫新書50円、単行本100円の台を、『きっとあるはず買えるはず、ぐるぐるまわれば出てくるよ』と口づさみながら、何回もぐるぐる回っていた。」(p124)

ああ、そうそう、私にとって架空の関西の古本屋さんの様子を楽しみながら、一つ、リアルな接点がありました。

「この展覧会が終わっても、浜松には、秋野不矩美術館があるので、またいつの日か、ぶらっと不矩さんに会いに行く日が来るように思う。」(p139)

うん。うん。この美術館なら私は一度だけですが、探しながら出かけたことがありました。天竜川を上っていくので、そうそう来れる場所でもなくって、そのたたずまいとともに、なんとも立ち去り難い美術館だったのでした。


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