「藤森照信の特選美術館三昧」(TOTO出版・2004年)。
はい。わたしは3ページほどの『まえがき』で満腹。
そのはじまりと、さいごとを引用。
「日本の美術館は、世界的にみると、きわめて特異である。
質のことはひとまず置いといて、量がちょっと変わっている。
多いのだ。とにかく美術館の数が多い。・・・ 」
なかごろには
「富が大衆化すれば文化も大衆化し、そして美が大衆化したのである。」
そして、そそくさと最後を引用。
「大衆化した美術館のこの先にはなにが待ち受けているのか。
・・・・・マイ美術館の時代だろう。・・・・
かつてしかるべき家には茶室がついていたように、
しかるべき家には小さな美術館、というか美術室が、
縮めれば美室が設けられるようになる。
茶室が美室としてよみがえるのである。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。 」
こうして目次をみると、27の美術館が見取り図と写真入りで紹介されております。ちなみに、私が行った美術館は、3~4館。
う~ん。目次に従ってひらくと、この箇所も引用したくなりました。
「天竜市立秋野不矩美術館」のはじまりの言葉。
「 美術館は建物と展示品のふたつの美からなる、
という宿命を負わされている。
美術好きの人は展示品だけで十分と考えているかもしれないが、
それはちがいます。
人は、ひとつのものを見つめるとき、かならず
周囲の環境を無意識に感じ取りながら、見ている。
壁の様子、落ちてくる光、隣り合う作品、足の下の床、
天井の高さ、そして背後の空気。獲物を前にしたネコ科の
動物(ヒョウなど)と基本的に変わらない。
作品の美は、展示の空間によってそうとう印象が変わる。
体験でいうと、2割くらい変わるんじゃないかと思う。 」(p232)
そうすると、展覧会のカタログだけ見てる私は、
いったい何割引きの、『美』を見てるのだろう。
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