新潟日報事業社発行の
稲川明雄著「山本五十六のことば」(2011年)が
短い言葉に、解説を付してパラパラ読みの私みたいな者には有難かった。
ということで、同じ発行所で、同じ著者の
「河井継之助のことば」(2010年)を古本で取り寄せる。
さっそく、パラリとひらけば、こんな言葉がありました。
『 漫然多読するも、何の益かあらん。
読書の功は細心精読するに在り。 』 (p30)
うん。今年は年のはじめから、『安房震災誌』を読もうと決めておりました。
そして、こうして半年間かけて『安房震災誌』をパラパラとめくっています。
そうすると、あらためて分かることがありました。
最初は、震災の被災状況に目がゆく。被害の数値化の理解も分かりやすい。
ところが、繰り返しめくっていると、その次があることに気づくのでした。
『安房震災誌』で、あらためて注目したのは第二編でした。
そのはじまりは
「 前編に於ては、地震の惨害を事実の儘に叙述するが
その目的であったが、本編はその惨害を如何に処理救護したか。
即ち自然力に対する人間力の対抗的状態を詳記するが目的である。 」
( p219 )
その次には、こうもありました。
「 勿論、突如たる天災で、其處に何等の用意も準備もあらう筈がない。
殊に今回の大地震は、『 前古無比の天殃 』と詔書に仰せられた程で、
実に人間想像の外であった。
従て、平時の条規によって事を処するなどは、
迚ても出来得べきことでなかった。 」 ( p219 )
はい。『 自然力 』と『 人間力 』とありますが、
p284~285には『 青年団の力 』という言葉が出てきます。
そして『 団体力 』という箇所もありました。
最後に『 団体力 』の箇所を引用しておきます。
「 鈴木社会教育主事は、
青年団が今次の大震災にあれだけの功績を挙げた
その根本指導の任に当ってゐたので、
青年団に就ての感想は独特のものがある。・・・
『 今度の地震には、青年団の共存共栄の同胞愛を
本当に実現することが出来ました。
天災も斯うした大天災になると、
団体力でなければ迚ても救はれません。・・・・
要するに、吾々罹災者は、青年団から
精神的にも物質的にも、大なる社会的債務を負ってゐるのです。
それは郡民の永久に忘れてはならない公の債務です。 』 」
( p320~321 )
はい。一時間の講座では、あれもこれもと網羅的だと取り留めなくなる。
ここでは、被災状況とともに、安房郡長大橋高四郎と青年団の活躍とに
焦点を集中して、一時間内容を吟味してゆけばよいのかもしれないなあ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます