和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

蒙古襲来と怨霊追善。

2023-06-24 | 道しるべ
産経新聞の2023年6月6日。平川祐弘氏の正論欄で紹介されていた
テレングト・アイトル著『超越への親密性――もう一つの日本文学の読み方』
をひらく、平川氏が指摘されていた論文は、その本の最後にありました。
はい。とりあえず、私はそのところだけでも読んでみる。

蒙古襲来からとりあげられているのですが、
「フビライの帝国は遊牧型、農耕型、海洋型の社会が融合するように
 して拡大し、大都を中核として大ユーラシア交易圏ができあがってゆく」
その大局的な見地で、「フビライの帝国は全南宋を無傷のままに接収」
する具体的な流れを指摘してゆきます。

そのあとに、鎌倉幕府と北条一族へ焦点を定めております。
1278年(弘安元年)7月、建長寺の開山である禅僧蘭渓道隆(1213~78)が
没し、北条時宗は傑出した禅僧を招くために、宋僧無学祖元を迎えます。

「・・南宋政権はこの時点で崩壊して消えて二年も経っていたが、
 それを知ってか知らずか北条時宗は、仇敵フビライ・ハーンの元朝の
 支配下に置かれ、民間貿易・交流が自由で盛んだった寧波へ二僧を
 派遣した・・・

 これはつまり、鎌倉幕府は、元朝軍の第一次『蒙古襲来』の被害に
 見舞われた4年後、同じく元朝支配下の寧波仏教界へ公式に二人を派遣し、
 元朝の仏教界において傑出した僧を招請するために自由に出入をし、
 かつ元朝の禅僧無学祖元を迎えることに成功したということになる。」
                          ( ~p449 )

このあとに、無学祖元への言及がはじまります。

「無学祖元は日本に上陸した後、まず建長寺の住寺として迎えられた。
 1281年、第二次『蒙古襲来』(弘安の役)が過ぎると、
 『祖元は元寇も片づいたので時宗に対して帰国の希望をもらしはじめた』
 という・・・   」(p452)

「北条時宗は無学祖元が帰国の希望をもらしたことに驚き・・・
 円覚寺がちょうど落成したので、1282年、無学祖元を開山始祖として
 プレゼントした。ねらいは慰留するためである。それに加えて

 『蒙古襲来』も片づいたので、御霊信仰に従い、
 北条時宗はさらに円覚寺の開山にあたって、
 『 亡くなった日本や元の兵士など、敵味方両方の戦没者を追悼する 』
 という悲願をも託したという。

 敵味方なく外国の戦没者の霊を平等に祭るという点において、
 おそらく円覚寺の創立は、近代を除き日本史上、最高の
 格式と最大の規模のものといえよう。  」(p453~454)

こうして開山の記念説法である祈祷文の現代語訳にして載せております。
「この開山祈祷文は無学祖元の「語録」の形で現在まで残っている。・・
 それは明らかに檀那の北条時宗によって依頼された祈祷文を念誦しており」

まあ、その現代語訳を引用してみます。

「 わが日本国を助け、堅固な妙高山のように、
  わが軍の勇敢さは金剛力士のように、

  わが国が豊作で民の飢饉がないように、
  わが民が安楽して疾病がないように、
  わが国が永遠に続くように、・・・・

  古代から前年までの、わが軍と敵軍が戦死し、
  溺死した衆生の魂が帰するところなくさまよい、
  ひたすら速くそれらを救うようここで祈願し、
  
  皆苦界を超えるよう祈願します。
  仏界・法界において差がなく、
  怨親悉く平等でありますように(筆者訳)  」(p454)

このあとに、p457には、こうありました。

「 かくして日本史上最大の国難をもたらした宿敵、
  また無学祖元にとっても仇敵のモンゴルの怨霊が祭られることになる。

  そして元来、国内における敵味方なく
  怨親平等に怨霊が供養される祭祀は、
  
  今度外国の敵の怨霊をも内包するようになり、
  したがって『怨親平等』という死後の世界の平等は、
  被害側の日本と旧南宋の禅僧と元朝モンゴル帝国との
  現世の対立を超越することになる。

  元来の祟りや災いを避けるための信仰が、
  ここでは別の次元で受容され、揚棄され、
  普遍的な意味を具有するようになったといえよう。

  当時日本国内では、円覚寺の開山祭祀は
  宗教上最大のイベントであったばかりか、
  幕府のお抱えの禅僧無学祖元によって営まれたので、
  その祭祀によって、禅林の慈悲深さと寛大さが改めて明証され、
  怨霊鎮魂という伝統と信仰もより尊ばれたことであろう。

  実際、九州各地をはじめ日本の東北各地までモンゴル兵士の
  犠牲者の塚・追善の塔・板碑などが多く創られたのである。 」(p458)


はい。論文の内容は細部に詳しく、だいぶ端折りましたが、
私はこれだけでも、読めてよかったです。


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