竹中郁『詩集 そのほか』(中外書房・1968年)に
詩「見えない顔」が入っている。年譜をひらくと、昭和25(1950)年の詩。
とかく一部引用は、全体を見失いやすいのですが、とにかく最後4行を引用。
痛切に人間が人間をさがし求めるその声
いつまでもいつまでも絶えようとしないその声
ラジオの「尋ね人」の時間のなかの
あの 見えない顔 顔 見えない顔
ちょうど、飯田蛇笏の晩年の俳句解説を読んで、この詩が思い浮かびました。
飯田蛇笏の略年譜には、1885(明治18)~1962(昭和37)年77歳でした。
「飯田蛇笏(いいだだこつ)は、山国甲斐に生まれた。・・
大学に学んだ頃の約6年を除いて生涯を生まれ故郷で過ごし、
その山国の風土を愛し、自然と人の姿を俳句に詠んだ俳人である。
・・生涯、散文に関心を抱きつづけた。蛇笏の俳句は、幅広い
文学の裾野のなかから生まれていることがわかる。 ・・ 」
( p721 解説井上康明 「飯田蛇笏全句集」角川ソフィア文庫 )
その蛇笏の俳句というのは
寒雁(かんがん)のつぶらかな声地におちず ( 74歳 )
これを安東次男氏が解説しておりました。
「『寒雁』の句などじつは、戦後10年の心の傷痕がいまだに癒えやらぬ人の
号泣の句であるらしい。調べてみると、
昭和16年以降終戦までのあいだに蛇笏は、あるいは病気で
あるいは戦争で父母と三人の男子を次々と失っている。
・・・そのしのび音の慟哭がそのまま『つぶらかな』だとか、
『地におちず』(地に落ちてきてほしい、地に落ちずそのまま天駆けよ)
だとかの表現となったと読んで、大過はないのだろう。
・・・その人の晩年に『寒雁』の句を見つけたとき、私は、
私自身の血の中にある一口では言い尽せぬ物の考え方に
思い当ったような気がした。・・・ 」
( p7 安東次男著「其句其人」ふらんす堂・1999年 )
はい。ここまで引用してきたら、ラジオからの連想で、
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社・2013年)が
思い浮かぶのでした。最後には「想像ラジオ」のはじまりの箇所を引用。
「 こんばんは。
あるいはおはよう。
もしくはこんにちは。
想像ラジオです。
こういうある種のアイマイな挨拶から始まるのも、
この番組は昼夜を問わずあなたの想像力の中でだけ
オンエアされるからで・・・ 」
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