和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ラジオの『尋ね人』の時間。

2023-04-16 | 詩歌
竹中郁『詩集 そのほか』(中外書房・1968年)に
詩「見えない顔」が入っている。年譜をひらくと、昭和25(1950)年の詩。
とかく一部引用は、全体を見失いやすいのですが、とにかく最後4行を引用。

  痛切に人間が人間をさがし求めるその声
  いつまでもいつまでも絶えようとしないその声
  ラジオの「尋ね人」の時間のなかの
  あの 見えない顔 顔 見えない顔


ちょうど、飯田蛇笏の晩年の俳句解説を読んで、この詩が思い浮かびました。
飯田蛇笏の略年譜には、1885(明治18)~1962(昭和37)年77歳でした。

「飯田蛇笏(いいだだこつ)は、山国甲斐に生まれた。・・
 大学に学んだ頃の約6年を除いて生涯を生まれ故郷で過ごし、
 その山国の風土を愛し、自然と人の姿を俳句に詠んだ俳人である。

 ・・生涯、散文に関心を抱きつづけた。蛇笏の俳句は、幅広い
 文学の裾野のなかから生まれていることがわかる。 ・・   」
   ( p721 解説井上康明 「飯田蛇笏全句集」角川ソフィア文庫 )

その蛇笏の俳句というのは

    寒雁(かんがん)のつぶらかな声地におちず  ( 74歳 )

これを安東次男氏が解説しておりました。

「『寒雁』の句などじつは、戦後10年の心の傷痕がいまだに癒えやらぬ人の
  号泣の句であるらしい。調べてみると、

  昭和16年以降終戦までのあいだに蛇笏は、あるいは病気で
  あるいは戦争で父母と三人の男子を次々と失っている。

  ・・・そのしのび音の慟哭がそのまま『つぶらかな』だとか、
  『地におちず』(地に落ちてきてほしい、地に落ちずそのまま天駆けよ) 
  だとかの表現となったと読んで、大過はないのだろう。

  ・・・その人の晩年に『寒雁』の句を見つけたとき、私は、
  私自身の血の中にある一口では言い尽せぬ物の考え方に
  思い当ったような気がした。・・・   」
       ( p7 安東次男著「其句其人」ふらんす堂・1999年 )


はい。ここまで引用してきたら、ラジオからの連想で、
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社・2013年)が
思い浮かぶのでした。最後には「想像ラジオ」のはじまりの箇所を引用。

「  こんばんは。
   あるいはおはよう。
   もしくはこんにちは。
   想像ラジオです。

   こういうある種のアイマイな挨拶から始まるのも、
   この番組は昼夜を問わずあなたの想像力の中でだけ
   オンエアされるからで・・・            」

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