臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房・1972年)を
本棚から出したついでに、他の箇所もひらいてみる。
ほかならぬ、臼井吉見氏の文も載っている。「炭焼翁の意気」(p144~155)。
戦後復員してきた臼井氏ご自身のことにからめて語られておりました。
うん。文の最後にはこうあります。
「 敗戦直後、僕が会った多くの人たちのなかで、
七十歳を越えた柳田國男にくらべられるほど、
いきいきとした感覚と気力にはずんだ人を、
ついぞ見かけなかった。 」(p155)
「 敗戦直後、日本民俗学の先達の頭脳に何が
思い描かれていたかを知ることは、いまもなお有益と考える。」(p148)
この本の最後には、座談会がありました。
そこに、年齢について触れた中野重治氏がおりました。
中野】
柳田さんの文章の場合は、八十八までも長生きされているということが、
どうも八十八までも生きてもらっていなければ工合悪いような、
そういうところがちょっとありますよ。
柳田さんが三十七、八で死んだら、それは変なものになる。
ふさわしくないんだ。柳田さんには、長寿がふさわしいんですよ。(p324)
あきらめていた、柳田國男へのチャレンジでしたが、
臼井吉見編「柳田國男回想」を羅針盤にしたならば、
すこしは、足場を確保できるような気になります(笑)。
はい。70歳を越えて88歳までの視界がクリアになる。
はい。今度こそはと、幾度目かの、チャレンジ宣言。
なにか同時進行の宣言のオンパレード。安売り宣言。
読書の宣言の大安売り。これでこそ私らしいブログ。
願いが叶う、叶わないは二の次に、宣言の大言壮語。
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