和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

希望。

2021-02-25 | 詩歌
「語りかける辞典」という副題のある「風のことば空のことば」(講談社)。
このなかに「いのり」という項目があり、
そのはじまりで、長田弘氏は、こう語りかけるのでした。

「大震災以後、悲しい気持ちになるニュースがずっと
 つづいている。悲しいのは出口が見えないから。」(p18)

東日本大震災から、この3月で10年がたちます。
長田弘の言葉の、この箇所から浮かぶ詩集がありました。

杉山平一詩集「希望」(編集工房ノア2011年)。
そのはじまりの詩を引用したくなったのですが、
それは最後にして、詩集の「あとがき」を引用。

「何を、今さら、97歳にもなって詩集を出すなんて、
と思えるが、私は90歳で死ぬと思っていたのに、思いがけず
だらだらとその年齢を過ぎてしまった。・・・・・

私の父は静岡の袋井の出身であり、母は長崎の酒屋の娘であった。
もともと三菱電機に勤めていた父親は、猪苗代湖の水力発電所の
建設に従事しており、大正3年10月12日に初めて東京へ向かって
電気を送り出したと言われている。・・・・・

私は生まれて間もなく会津若松を去った・・・
私は関西で育ち、高校時代を旧制松江高校で過した・・・」

この「あとがき」の最後も、
すこし長くなりますが引用。

「ところで話は変わるが、折しも、この詩集の編纂にかかり
始めた時に東日本大震災が起こり、次々と流れてくる報道に
動転した。そもそも、私は会津生まれでありながら、
東北地方について無知であった。・・・・・・

うなじや太鼓帯の美しさが背中に隠れているように、
東北地方の人たちは後ろ側にその美しさを秘めている。
表からは見えないその奥ゆかしさ謙虚さを打ちのめすように、
大震災が東北の街をハチャメチャにしていったのだ。

今こそ、隠れていた背中の印半纏を表に出し、
悲境を越えて立ち上がって下さるのを祈るばかりである。
奥ゆかしさを蹴破って、激烈なバックストローク、
鵯越(ひよどりごえ)の逆落としさながら、
大漁旗を翻して新しい日本を築いて下さるように。

詩集の題名を『希望』としたが、少しでも復興への気持を
支える力になれば、と祈るばかりである。

      2011年8月15日    杉山平一     」

最後になりましたが、
詩集のはじまりの詩を、引用しておくことに。

        希望     杉山平一

  夕ぐれはしずかに
  おそってくるのに
  不幸や悲しみの
  事件は

  列車や電車の
  トンネルのように
  とつぜん不意に
  自分たちを
  闇のなかに放り込んでしまうが
  我慢していればよいのだ
  一点
  小さな銀貨のような光が
  みるみるぐんぐん
  拡がって迎えにくる筈だ

  負けるな

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