和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

鬼と僧侶。

2012-03-20 | 短文紹介
今度、岩波現代文庫に本田靖春著「評伝今西錦司」が入ったそうです。
その解説を河合雅雄氏が書いているようなので気になります。
そういうわけで、未読の単行本「評伝今西錦司」(山と渓谷社)をひらく(笑)。
本の「あとがき」は、柴又の寅さんからはじまります。そのあとに。

「・・・いま、『あとがき』を書いていて改めて感じることは、この世を思いのままに生きた人物が現にいたという事実の重みであり、その貴重さである。しかも、ただ単に、思いのままに生きたわけではない。いまさらいうまでもないが、数々の輝かしい業績を積み、多くのすぐれた人材を膝下から輩出した。私もかなり自由に生きてきたつもりでいたが、振り返ってみると、せいぜい寅さんといい勝負で、私における自由は、身勝手さと言い直すべき性質のものであったと反省している次第である。」

とりあえず、最近買ったのは
西堀岳夫編「とにかく、やってみなはれ」(PHP研究所)という西堀栄三郎語録でした。文庫サイズで表紙はビニール手帳のようなしっかりした感じ。パラリとひらけば、「『プロ精神』から『仕事の鬼』へ」という短文。


「プロ精神で仕事をしろとさかんに言われていますが、これは外来の考え方で、私はあまり気に入りません。私はエサで人間の仕事を釣るようなことはけしからんと考えていました。そのような仕事への待遇よりも、人をしてその仕事に対して、いかにして『仕事の鬼』にさせるかが大切です。『仕事の鬼』になるということは、たくさんの書物を読んだり、三日でも四日でも徹夜して研究したり、そういう作業を誰に言われるのでもなく、自分でやっていく、ということです。『仕事の鬼』になるということはプロなどという程度の生やさしいことではなくて、心の奥底から湧き出てくるやむにやまれないものが自分を鬼にしてしまうようなことです。こうなれば、にんじんを鼻先にぶら下げられたような欲求不満などは消し飛んでしまいます。」(p26)


う~ん。「徹夜」といえば、最近思い浮かぶのは
瀬戸内寂聴とドナルド・キーン対談「日本を、信じる」(中央公論新社)にある、この箇所でしょうか。

瀬戸内】 でも、お互いに90歳ですからね。今度うっかり病気をしたら、もうダメかもしれない(笑)。だから病気をしないようにしましょう。と言いながら、この歳でまだ徹夜で仕事をしているんですからね。
キーン】 私もこの一年、ずっと休みなしです。(笑)  (p14)


キーン】 私は日本の文学、日本の演劇などを生涯にわたって勉強してきましたが、半生を日本で過ごした後に気がついたことがあります。それは~今や私は日本人に負けないほど、ワーカホリックになったということです(笑)。何かしていなければ気がすまない。・・・・働くことがいちばんの楽しみなのです。これからどういうものを書いていくかはともかく、働くこと自体は極めて面白く、大好きなので、生きている限りやめることはないでしょう。
瀬戸内】 私もそうですね。私の場合、何か書くと、その書いたものから、次にすることを教えられるんですよ。『今度、これをしなさい』って、それを書いたら、またその中から、『次はこれにしたらどう?』と教えられながら、ここまで来ました。そして、書いたものに促されて出家してしまったんです。書かなかったら、こういうふうにはなりませんでしたね。法話や説法は僧侶としての私の義務です。でも、小説を書くのは、私の欲望。欲望は快楽をともなうんです。小さいものでも書き上がったら、『バンザーイ!』って真夜中に一人で叫んでしまいます。ですから、それこそ一晩中書いていて、ペンを持ったまま死んでいたのを誰かが見つけてくれる・・・というのがいちばんいい。・・(p116~118)


うん。なんとなく、鬼と僧侶がしっくりしてくる不思議。

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