和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

袖振り合うも。袖すり合うも。

2022-01-16 | 本棚並べ
ことわざに、「袖振り合うも多生の縁」とあります。
さしあたって、私のブログというのは、
『袖振り合うも多生の』古本というところ。

今年もさまざまな古本と出合えますように。
さまざまな古本を取りあげられますように。
はい。今年も本を肴にブログを更新します。

ちなみに、『多生(たしょう)』と『他生』とがあるそうで、
ことわざ辞典をひくと、

≪『多生』は、六道の間で何度も生まれ変わること。五百生。
 『他生』は、この世以外の世。前世≫

「道を行く時、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも、
 前世からの因縁によるという意。どんな小さな事、
 ちょっとした人との交渉も、偶然に起こるのではなく、
 すべて深い宿縁によって起こるのだということ。
 袖すり合うも多生の縁。袖の振り合わせも多生の縁。・・」

因縁というと、
何やら神社仏閣でえば、
仏閣が思い浮かびます。

わたしの町でも、お寺はさまざまあります。
ちなみに、うちは日蓮宗ですが、近場には
臨済宗もあります。臨済宗の檀家さんの家の玄関に
『脚下照顧』の四文字が、木札に書かれて柱にかけてありました。
この四文字。普通小型の辞書には載っておりませんでした。
ですから、この四文字は、ことわざ辞典でみつけられなかった。
ちょっと大きな辞書にあり、禅宗にかかわりのある言葉でした。

岩波四字熟語辞典をひらくと、ありました。
はい。せっかくなので引用しておきます。

「  脚下照顧(きゃっかしょうこ)
 足元を見よ、の意。
 ただ単に足元に注意せよという意味ではない。
 外部にばかり気を取られたり理想を求めたりせず、
 自己の内面を明らかにせよという内省をうながす言葉として、
 禅宗で用いられる。
 禅院の玄関にこの言葉が記してあるのは、
 『履物を揃えよ』と両義に用いたもの。・・・・」(p148)


脚下と、は足元・足許。
え~と。そうそう。
長谷川伸著「わが『足許提灯の記』」(時事通信社・昭和38年)。
そのあとがきは、出版社の方が書かれておりました。
そこにこの本の題名になった言葉について指摘されておりました。

「題名の『足許提灯』は、301頁の終わりの
 『足許提灯だとて考えなしに照らしたら、
  足許が見えなかったり、目がまぶしかったりで
  却ってない方が、足をさぐりながら危なくないくらい。
  足許提灯も持ちよう次第である』
 という一節から出ていると思われます。」(p320)


うん。わたしには、『足許提灯(あしもとちょうちん)』
というのは、現代のマスコミの言動に近いのじゃないか?
『かえってない方が、足をさぐりながら危なくないくらい。
 足許提灯も持ちよう次第である』

こうして、足許を照らしてくれているはずなのに、
その危うさ、おぼつかなさを取りあげようとしたのかも。
さて、いつでも誰にでもおこりえる、この問題をどのように解決したか。
答えは、301頁にある『天ぷら蕎麦』という3ページの文にありました。

引用をしたくなるのですが、ここまで、
『考えなしに、照らしたら・・・・』
この短文が、私の引用で台無しになりそうです。


 

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