和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

正当にこわがることの難しさ。

2022-01-17 | 産経新聞
1月17日。はい。今日の産経新聞。
社会面に阪神大震災27年とあります。
「6434人が犠牲となった阪神大震災は、17日で発生から
27年となる。発生時刻の午前5時46分には兵庫県内の各地で
犠牲者を悼み、鎮魂の祈りがささげられる。・・・・」。

一面は「空気振動 海面に波発生か トンガ沖噴火」と
「潮位上昇22万人避難指示 奄美・岩手で1㍍超」の見出し。

一面の産経抄は、その関連のコラムとなっておりました。
うん。コラムの真ん中を引用。

「約8千㌔離れた南太平洋のトンガ沖で日本時間15日午後1時ごろ
海底火山の大噴火があり、いったんは影響は少ないと思われた。

(産経)抄子も一杯やって寝込んでしまった。が、
16日未明に鹿児島県の奄美群島・トカラ列島や岩手県に
津波警報、太平洋沿岸などに津波注意報が出る事態に。

交通機関の欠航、運転見合わせが相次ぎ、
大学入学共通テストが一部試験会場で中止・再試験となった。
船の転覆や流出も起きた。」


産経抄のコラムは、そのはじまりと最後が、
寺田寅彦の文の引用となっております。
そのコラムの最後を引用してみます。

「寺田寅彦のよく知られた警句に『正しく恐れる』ことがある。
 浅間山の小噴火を題材にした『小爆発二件』で

 『ものをこわがらな過ぎたり、こわがりすぎたりするのは  
  やさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい』

 と記している。・・・・」


はい。今日の産経新聞からでした。
あとは思い浮かんでくるアレコレ。

今日の産経抄は、文庫を引用したとあります。
講談社学術文庫「天災と国防」(2011年6月9日発行)でした。
東日本大震災のあとに、寺田寅彦の文庫が3冊でておりました。
ほかの2冊は
角川ソフィア文庫「天災と日本人 寺田寅彦随筆選」
(平成23(2011)年7月25日発行)
中公文庫「津浪と人間 寺田寅彦随筆選集」(2011年7月25日)

ちなみに、講談社学術文庫の解説は畑村洋太郎。
角川ソフィア文庫の「はじめに」と解説は山折哲雄。
中公文庫が千葉俊二・細川光洋編で、解説は千葉俊二。

産経抄で引用されていたのは、そのなかの講談社学術文庫でした。
その畑村洋太郎解説に印象に残る寺田寅彦からの引用があります。

『悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが
 自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に
 充分の用意をしておかなければならないということは、
 実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど
 万人がきれいに忘れがちなこともまれである』(p176~177)


はい。『悪い年回り』といえば、厄除けを思い浮かべ、
それは、神社へと連想がひろがります。

もう一度、産経抄の今日のコラムへともどり、
そのはじまりから引用をしてみます。

「各国の神話などを読んで気づくのは
『その国々の気候風土の特徴が濃厚に
 印銘されており浸潤していること』だという。
 物理学者で随筆家、寺田寅彦が『神話と地球物理学』
(講談社学術文庫「天災と国防」収録)で書いている。

 島が生まれる記述は海底火山の噴出など、
 須佐之男命(すさのおのみこと)に関しても
 火山を連想される記述が多いと。

 古(いにしえ)より自然災害に見舞われ
 克服してきた日本だが、遠い海の天変地異が
 ひとごとではないことを改めて思い知らされた。」


はい。これがコラムのはじまり、
ここから、わたしが思い浮かべるのは
平川祐弘・牧野陽子著「神道とは何か」(錦正社)でした。
この本は、お二人の講演が載っております。
まずは、平川祐弘氏の文から、ここを引用

「神道では天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神や
 祖先への崇拝はより広い自然の神秘や脅威への崇拝の一部ですが、
 畏怖、畏敬の念を呼び起こすものはなにであれ『カミ』と呼ばれました。
 山岳にせよ、滝にせよ、火山にせよ、老木にせよ、只ならぬ人にせよ、
 崇拝の対象となり神となりました。・・・・」(p24~25)

つぎは、牧野陽子さんの文から
引用ばかりになりますが、この箇所を引用して
おしまいにします。ラフカディオ・ハーンを語っております。

「・・神社を真正面から扱った作品としては、・・・
≪生神様≫が挙げられます。これはハーン来日後の第四作
『仏の畑の落ち穂』の巻頭を飾る重要な作品です。・・

その冒頭に『神道とはいかなる信仰なのか』を問う
作品がおかれていることになります。
『生神様』は長さ22~23頁ほどの作品で三部構成になっていて、
その内容を簡単に説明すると、
 第一部で神社建築について語り、
 第二部でそのような神社を中心とした村の社会を論じ、そして
 第三部で津波にまつわる濱口五兵衛という人の話を紹介しています。

 濱口の話は実話がもとになっており・・・・・・
 ≪稲村の火≫という題で、子供向けに構成された翻訳が
 戦前の国定国語教科書に教材として長く掲載され、また
 海外でも子供向けの絵本として長く読まれています。
 津波の描写には迫力があり、物語としての魅力だけでなく
 防災の教材という意味でも優れているからだと思います。

 それに引き替え、≪生神様≫の前半部分は、
 あまり取り上げられることがなく、選集や大学のテキストなどに
 収録されるのは津波の話の部分だけなのです。
 前半がカットされてしまうのは、日本の神の観念についての
 記述が少し取っ付きにくく、第三部の強烈な物語との関係が
 よくわからないからでしょう。

 しかし、『仏の畑の落ち穂』という作品集の冒頭作品の、
 さらにその冒頭の部分なので、著者にとって大事な文章で
 ないはずはない。神社の姿を真正面からとらえたその記述は、
 実によく練られた緻密な描写で、そこにハーンが理解した
 日本の宗教的感性を読み取ることができるのです。・・・」
  (p96~97)

はい。私の連想の補助線は、ここまで。


追記。
そうだ、そういえば、思い出しました。
曽野綾子さんが産経新聞に連載コラムをもっていた時
(曽野さんは、産経にいろいろなコラムをもっていた)。
産経の他の人のコラムをとりあげたり、産経抄のコラムの
ここがよかった。などと書いていて、同じ新聞内で
響き合っているようで楽しかったのを思い出します。


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