和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

貧乏の説。

2010-09-05 | 幸田文
朝のドラマ「ゲゲゲの女房」では、現在放映時点で、好調だった連載マンガが途絶え、月間予定表が白紙となって、暇になった水木プロの様子が描かれております。この機会に妖怪事典を作ろうという指針が生まれたところでした。さて、同時に水木氏個人を振り返った自伝めいたものを文章として依頼されていることが、ちらっと語られておりました。その貧乏時代を、という依頼のようです。

編集者の依頼の眼目は「貧乏」というところにあるようなので、へ~。貧乏を依頼されるなんて。という水木家の反応とともに、さりげなく、自伝をひきうけるところで、今日の土曜日の朝ドラは終わっておりました。

水木しげる家の貧乏暮らしも、連続ドラマが進むにつれて、もうすっかり視聴者の思考からは忘れられておりました。というかつぎの展開へと興味はうつっておりました。


さて、貧乏。ということで、
山本善行著「古本のことしか頭になかった」(大散歩通信社)には、こんな箇所

「貧乏話には、人情話も絡んでいて、人生の機微とでもいうべき泣き笑いの世界がそこにあるように思う。落語の古今亭志ん生は、『びんぼう自慢』のなかで、修業時代のころを回想しているが、その貧乏ぶりはなかなか見事なもので、他人事だという気楽さも手伝って、何回読んでも、大笑いしたり、じーんときたりする。
それでは文学界で志ん生に対抗できるのは、と考えると、すぐに内田百という貧乏話の大看板がいるのに思い付く。百にも、『大貧帳』という傑作があって、大いに苦笑いさせてくれるが、その貧乏の味わい方は、志ん生と共通のものがあるように思う。
・ ・・・・語っているそのときが、貧乏真っ最中であれば、聞くほうも笑ってばかりはいられない。」(p101~102)

ここを読んで、私は、『びんぼう自慢』と『大貧帳』と、どちらも読んでいないため、さっそく古本屋へと注文(笑)。

ついでに、思い浮かんだのは、幸田露伴著「雲の影 貧乏の説」(講談社文芸文庫)でした。こちらは、手元にありましたので、ひらいてみますと、文庫で13㌻ほどの「貧乏の説」がありますので、読み返しておりました。その文の最後の方
「さて最後に申したいことは貧乏の功用であります。貧乏は冷たい水であります。・・・」
とはじまる箇所は、つい朗読したくなる箇所となっております。

あとは、宮崎市定の「素朴主義」への文章があるらしく、未読ながら興味を惹かれます。

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