和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

傍らに・・幼い小学生が。

2023-03-05 | 詩歌
杉山平一『詩集 希望』( 編集工房ノア・2011年11月2日発行 )。

はい。ここから詩を2篇。

     つぶやき   杉山平一

   電車はすこし混んでいた
   立ったままで
   ふと窓の外に目を向けると
   虹が浮んでいた
   半円とはいえないカーブを描いて

   傍に立っていた幼い小学生が
   つぶやいた 低い声で
   『 はじめて 見た 』
   そうして もう一ぺんつぶやいた
   『 はじめて 見た 』
   ワーイッ
   ヤッター
   スゴーイ
   そんな声が嘘っぱちに見えるほど
   心の底からきこえる感動のいきづかいだった

   電車はまもなく鉄橋にさしかかる

              ( p36~37 )


 思い浮かんでくるのは、井上靖「『きりん』のこと」の
 あの場面でした。

「 ・・たまたま小学校から送られて来た二人の少女の詩に、
 感心したというより、何もかも初めからやり直さなければ
 ならないといったような思いにさせられていた。

 その・・少女の詩の持つ水にでも洗われたような
 埃というものの全くない美しさに参ってしまったのである。
 ・・・・

 『 いちょう 』を読むと、いちょうの葉の落ちている校舎で、
 滑り台を滑っている小学一年生の少女の姿が眼に浮んでくる。
 
 そしてその時の少女の気持が、手にとるようにはっきりと、
 こちらに伝わってくる。少女は淋しいと思っているのでも、
 悲しいと思っているのでもなく、うつくしいな、ただそれだけである。

 そして、いちょうの落ちている庭で、
 いちょうの落ちるのを眺めながら、
 滑り台を滑っているのである。    」


はい。それでは、詩『 いちょう 』を引用してみます。

      いちょう   京都府大枝小学校一年 山田いく子
 
     きれいな いちょう
     おおきなきに
     ついている
     かぜにふかれて
     おちていく
     うつくしいな
     わたしは それをみて
     すべりっこを
     すべりました


杉山平一の『詩集 希望』をひらいていたら、
「すべり台」の詩があったので、最後に引用。

      
       天女    杉山平一

   その日 ぼんやり
   広場を横切っていた

   そのとき とつぜん
   ドサッと女の子が落ちてきた
   すべり台から
  
   女の子は恥ずかしそうに私を見上げて
   微笑んでみせた

   きょうは何かよいことが
   ありそうだ 
                  ( p34~35 )

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