和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ポエジーが生まれ。

2023-03-16 | 詩歌
詩のアンソロジーを、読む楽しみ。
はい。わかりやすい詩が集まった、
そんな本3冊を本棚から出してくる。

茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書・1979年)
石垣りん著「詩の中の風景 くらしの中によみがえる」(婦人之友社・1992年)
「教科書でおぼえた名詩」(文春ネスコ編・1997年)

茨木のり子と石垣りんの、お二人の著作の目次をめくっても、
丸山薫の詩は見あたりませんでした。丸山薫の詩はというと、
ちょっと引用しながら解説はしにくい詩なのかもしれません。

3冊目の文春ネスコ編の名詩は、こちらは解説なしで、すがすがしい。
中学・高校の教科書に載る詩を、現代詩・俳句・短歌・漢詩・翻訳詩
の順で並べてあります。

『序にかえて』の「学校遠望」は、教科書に未掲載の詩のようです。
編者はここに、丸山薫の詩「学校遠望」を置きたかったのだと思う。

はい。その詩『学校遠望』を引用するのですが、
ちょっと、ここでは回り道。


古本で「 四季終刊 丸山薫追悼号」(昭和50年5月20日)があり、
そこに篠田一士が文を寄せておりました。『一介のアンソロジスト』
と文の中でご自分のことを紹介されております。この文から引用。

「・・・この詩人(丸山薫)をはじめて知ったのは、
 戦後まもない頃刊行されたばかりの『北国』とか『花の芯』
 とかという詩集を読んでからだ・・・

 これといった感銘を受けなかった。
 いや、感銘がないといっては嘘になる。

 こんなに平明な日本語を使いながら、どうして
 ポエジーが生まれるのだろうという不思議な思いだけは、
 いまも記憶の片隅にあざやかである。

 この不思議さはぼくをいらだたせたけれども、
 それが、また、あまりに気にさせないところが、
 この詩人の平明さのもつ粋な魅力のはずだが・・・

 といって・・・青くさい若者の心に、それがひびくはずはない。
 
 それから何年か経って、『物象詩集』を知り・・・詩業の成果を
 ゆっくり味わいながら、ぼくはひそかに脱帽した。・・・

 丸山薫がつくりだした日本の新しい詩的言語の意味合いについて
 ・・・いま、ここに記しておきたいのは、

 この詩人ほど晴々とした試作品を書きながら、
 晴がましさといったものがほとんど感じられないことである。

 晴々とした作品を書いて晴がましく思い、
 また、読むものにも、そう思わせるのが常道だろう。
 晴がましいこと、かならずしも悪いことではない。

 むしろ、その姿勢を作品のもつ晴々した感触と
 どう兼合せるかというのが詩人の芸の見せどころで、
 ・・そうした巧みが、いわゆる匠気とは逆に、あどけない
 子供のmischievous(注:やんちゃ)な戯れのように
 なっているのが独特の魅力でもある。・・・       」(p194~195)


はい。最後には『教科書でおぼえた名詩』の
『序にかえて』に、掲げられている詩を引用。


        学校遠望      丸山薫

   学校をおえて 歩いてきた十幾年
   首(こうべ)をめぐらせば学校は思い出のはるかに
   小さくメダルの浮き彫りのようにかがやいている
   そこに教室の棟々(むねむね)がかわらをつらねている
   ポプリは風に裏返って揺れている
   先生はなにごとかを話しておられ
   若い顔たちがいちようにそれにきき入っている
   とある窓べでだれかがよそ見して
   あのときのぼくのようにぼんやりこちらをながめている
   彼のひとみに ぼくのいるところは映らないのだろうか?
   ああ ぼくからはこんなにはっきり見えるのに

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5 コメント

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おはようございます(^^♪ (のり)
2023-03-16 10:06:47
茨木のり子さんの「詩のこころを読む」は手元にあります。 若い頃読んでいたら・・・と残念でもありますが、時々パラパラと開いて読んでいます。

丸山薫さんの詩は知りませんでした。 素直に心に届く良い詩ですね・・・
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2023-03-16 10:18:33
おはようございます。のりさん。
コメントありがとうございます。

はい。時々パラリとめくる本がある幸せ。
今回ゆっくり丸山薫を読むめぐり合わせ。
ということで、まだ丸山薫をつづけます(笑)。
返信する
白い自由画 (kei)
2023-03-16 15:42:01
こんにちは。

丸山薫さんのことを何も知りませんが、
「春という題で / 私は子供たちに自由画を描かせる」
と始まる一編の詩は好きですね。
誤って落としてしまった黄色の絵の具。
春の訪れはまだ少し先ですが、
「まんさくの花が咲いた~」と喜ぶ子供たちの声が聞こえてきます。
ここが何とも好きですね。

知るのはこの程度です。
返信する
「まんさくの花」詩3篇 (和田浦海岸)
2023-03-17 09:49:41
おはようございます。keiさん。
コメントありがとうございます。

keiさんの引用されてる詩は
これかもしれません。
はい。手許に古いのですが全集がある。
パラパラめくればありました。

   白い自由畫  丸山薫

  「春」といふ題で
  私は子供達に自由畫を描かせる
  子供達はてんでに絵具を溶くが  
  塗る色がなくて 途方に暮れる

  ただ まつ白な山の幾重りと
  ただ まつ白な野の起伏と
  うつすらした墨色の陰翳の所々に
  突刺したやうな
  疎林の枝先だけだ

  私はその一枚の空を
  淡いコバルトに彩つてやる
  そして 誤つて
  まだ濡れてゐる枝間に
  ぽとり! と黄色を滲ませる

  私はすぐに後悔するが
  子供達は却つてよろこぶのだ
 「あゝ まんさくの花が咲いた」と
  子供達はよろこぶのだ


はい。詩は短くて、間隔があいているので
探すのが楽でした(笑)。
「まんさくの花」と題する詩もありました。

    まんさくの花   丸山薫

  まんさくの花が咲いた と
  子供達が手折つて 持つてくる
  まんさくの花は淡黄色の 粒々した
  眼にも見分けがたい花だけれど

  まんさくの花が咲いた と
  子供達が手折つて 持つてくる
  まんさくの花は点々と滴りに似た
  花としもない花だけれど
  
  山の風が鳴る疎林の奥から
  寒々とした日暮の雪をふんで
  まんさくの花が咲いた と
  子供達が手折つて持つてくる


 「四季 終刊丸山薫追悼号」に
茨木のり子の詩がありました。
はい。丸山薫の3篇の詩を下敷きにしての
それは追悼詩となっておりました。
ここには、茨木のり子の詩「まんさくの花」
その後半を引用

  まんさくの花は どんな花
  おもいおもいしてきたら
  三年前
  ようようのことにめぐりあう

  近づけば ぽやぽやと
  たんぽぽよりも たよりない黄
  遠ざかり 目を霞ませれば
  樹はたしかに淡彩の豊年万作
  こんなあわあわしいものにさえ
  まんさくと名づけたひとびとの夢

  画用紙に黄色の絵の具を ぽとり!
  滲んでゆくさまに
 〈 まんさくの花が咲いた 〉と叫んだ
  北国の小さな子ら
  雪消えて まんさく咲けば
  なつかしむ
  それを書きとめずにはいられなかった
  やさしいひとのことを


はい。kei さんの「まんさくの花」の
バトンがつぎつぎにつながってました。
返信する
「ひとびとの夢」 (kei)
2023-03-17 10:51:55
こんにちは。

子どもたちの暮らしの中にも、春の予感として「まんさくの花」は身近なのですね。

「画用紙に黄色の絵の具を ぽとり!
 滲んでゆくさまに
 〈まんさくの花が咲いた 〉と叫んだ
 北国の小さな子ら
 雪消えて まんさく咲けば
 なつかしむ
 それを書きとめずにはいられなかった
 やさしいひとのことを」

白い画用紙に「ぽとり」と、「ぽやぽやと」咲いたまんさくの花が、目に浮かびます。

教えていただきありがとうございます。
気持が温かくなりました。
返信する

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