和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

この感じは悪くない。

2025-01-16 | 好き嫌い
小沼丹に『庄野のこと』という4頁ほどの文があり、
そのなかに、

『 ・・・・・如何にも庄野らしいと思ふ。庄野も書いてゐるが、
  庄野の家では客から土産を貰つたりするとピアノの上に載せる。
  供へると云った方がいいかもしれない。それを見ると、矢張り
  如何にも庄野の家らしいと思ふ。この感じは悪くない。  』
    ( p60 みすず書房『 小沼丹 小さな手袋 / 珈琲挽き 』 )

『 供へると云った方がいいかもしれない 』とありました。
『 如何にも庄野の家らしい 』ともありました。

庄野潤三著「ザボンの花」第15章に帰省してお墓参りをする箇所があります。

『 矢牧の父の墓は、市の南にある広大な墓地の中にあった。
  そこには、父より2年早く死んだ長兄も眠っているのであった。  
  矢牧は夕方、ひとりでお墓まいりに出かけた。
  時間は遅かったが、それでも小さなバケツをさげて
  墓地の中の道を歩いている家族の姿が見られた。

  こちらへ来ればすぐ次の朝、お墓まいりに行けばいいのに、
  いつでも矢牧はぐずぐずしていて、結局帰る前の日になってしまう。
  そして、時にはとうとうお墓まいりをしないで
  東京へ帰ってしまうこともあったのだ。・・・・・

  矢牧は、お墓まいりはのんきな気持で
  する方がいいという考え方であった。行く方がいいが、
  行かなくても気がとがめる必要はちっとも無い。
  むしろ、気が向いた時に訪問する友人のように思いたいのである。
  
  そこへ来れば、心が休まるし、やはり来てよかった
  という気持ちで帰る、そういう場所だと思っていた。  」

はい。2~3冊しか読んでいない私なのですが、
おそらく庄野潤三がお墓のことを書くのは珍しいのではないか、
そう思えるので、もうすこし長く引用しておくことにします。

『 ・・矢牧は、墓地の入口のいつも寄る店でもらって来たバケツを
  さげて、その中にお盆の花を入れて、道を歩いて行った。

  倒れかかっている墓もあった。
  地面にのめりかかったような墓もあった。
  それらの墓は、もうバケツを持って
  おまいりに来る人もないのだろうと思われた。
  しかし、そんなふうな、崩れた墓をながめても、
  矢牧の心には、不思議に無残な感じもいたましい感じも起らなかった。
   ・・・・・・・・

  矢牧はバケツの中の水を汲んで、まだ新しい、
  なめらかな光沢をもった墓石の上に注ぎかけた。
  すると、墓石の頂きの部分にたまった水が、
  夕べの空の色を映して、かがやいた。
  そこには、雲のかたちも映っているのであった。
  ( わたしが死んだら、お墓の頭の上から酒を注ぎかけてくれ )
  生きている時、父はよく冗談にそんなことをいった。
  念仏など唱えなくともいいというのであった。
  矢牧は、その言葉を思い出した。・・・    』

まったくもって、お墓の手入れをしてる方には失礼なのですが、
私はといえば、つい、小沼丹氏の言葉につられて、
『 この感じは悪くない。 』と、つぶやきたくなります。

       

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