和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

昭和23年少年少女諸君。

2023-03-14 | 前書・後書。
うちの子供が、小学校の頃に、
学校では詩の副読本が使われてました。
それは、本屋にはなかったと思います。
その中に丸山薫の詩「唱歌」があった。

その詩「唱歌」が気なってました。丸山薫の古本を購入。
「丸山薫全集」全5冊揃い。1150円+送料650円=1800円。
はい。一冊が360円なら安いと思って5年前に買ってあり、
そのまま、本棚にねむっておりました。

そろそろ、読み頃ですよ、と背中を押されます。

童詩雑誌の『きりん』は、昭和23年2月が創刊号でした。
丸山薫著少年少女詩集『青い黒板』は昭和23年5月発行。
「丸山薫全集 2」でその詩集を見ることができました。

はい。詩「唱歌」を引用したいのですが、
まずはこの詩集のあとがきを引用してみます。

「★ この詩集は、だいたい小学五六年生の諸君を目標にして作ったのです。

 ★ けれど、詩の中で使っている言いまわしや漢字は、きびしく言って
   必ずしも五六年生程度のものかどうかは、わかりません。

   言いまわしについては、それがいちばん正直な詩の言い方ですと、
   言っておきましょう。文字は成るべく假名にしましたが、
   紛らわしかったり、それではどうしても気もちが出ないと
   思われるものには、漢字を使いました。

   ・・・・

 ★ どれも方々の少年少女の雑誌にたのまれて書いていったものです。
   ・・・・これを本にするのは諸君にまとめて読んでもらって、

  『 詩をつくる人のこころは物事のすべてをどういうふうに
    感じてくらしているか、また、詩はどんなにたのしく、
    つくる人とよむ人のこころをなぐさめて元気づけるものか 』

   ということを、つよくふかくわかってもらいたいためです。

 ★ ただ、私がこの二年間、東北地方の山の村に住んでいるために、
   詩にも北の山國の子供たちのくらしや感じ方が多く入りまじった
   ことは、ここで、日本中の諸君におことわりしておきましょう。

 ★ また、この詩集中の『唱歌』という作品は、こんど
   小學第五學年生の國語教科書にのせられることになりました。・・


はい。詩には、それなりの時代や背景があって成り立つことを
こうして全集をひらくと教えられることになりました。

それでは、お待ちかね、詩『唱歌』


       唱歌      丸山薫

    先生がオルガンを
    おひきになると
    オルガンのキイから
    紅い
    青い
    金色の
    ちがつた形の小鳥が
    はばたいて出て
    くるくる
    ぼくたちの頭の上を
    まわりはじめた

    教室の 高いところの
    窓ガラスが一枚 こわれていて
    やがて 小鳥たちは
    そこから
    遠い空へ逃げていつた


この全集2には、最後に編注がありました。そこからも引用。

「 著者の自作解説―――

 『・・・・・生まれかわる日本は、なによりもさきに、
  小学校の教室から、芽ばえようとしています。
  いまはたのしい音楽の時間です。みんな耳をすまし、ひとみをかがやかせて、
  新しくおぼえる歌の譜をきいています。
  先生がオルガンをおひきになります。オルガンからは、
  美しいやわらかな音が、つぎつぎに流れ出ます。
  ねいろはまるで、五線の間をはばたく小鳥のように、
  いく羽もいく羽もとびたちます。

  それはまるで、ゆめのように、てんじょうを見つめている
  ぼくたちの頭の上を、くるくるまわるようです。

  ああ、楽しい時間、楽しい教室――
  おや、あんなところのまどガラスが、一枚まだこわれたままだっけ!

  私はこの詩を、終戦後の二年間、山形県の山おくの小学校で、
  先生をしながら書きました。詩の中には、まあざっと、
  いま書いたような感じがふくまれています。

  みなさんたちが読んで、
  そこまではっきりとわかってくださらなくてもよろしい。

  ただ音楽を形にあらわせば、
  ――こんなにもいえるということ――
  それから、おわりのほうの、
 『 窓ガラスが一枚こわれていて 』の行で、
  いまのみなさんたちの教室のようすを、
  ――また、その窓からみえる『遠い空へ』で、みらいの希望を――
  この三つのことばをぼんやりとでも、感じてくださればいいのです。 」
      ( 『小学五年の学習』昭和23年9月号 )



よくばって、最後に、詩集の『 はしがき 』を全文引用。


「  はしがき
 
  詩をむつかしくてわからないという人がいる。
  詩はむつかしいだろうか。詩はむつかしくない。
  むつかしいという人は、詩のおもしろさをかんじない人だ。

  詩は理屈ではない。理屈の説明でもない。
  そんなものをとびこえて、いちはやく、
  もののほんとうの姿とこころを感じ知ることなのだ。

  詩が夢のようだという人は、夢のようなことに酔い、
  夢のようなことしか考えない人だろう。

  詩はゆめであるが、寝ていて見る夢ではない。
  いちばん正しい、すばやいこころである。
  賢く美しい翼のある考のはたらきである。

  子供たちのこころはアンテナである。
  アンテナは塵も埃もない未来の青空にむかって、
  自在に張りめぐらされている。
  宇宙からとんでくる眼に見えない真理をとらえようと、
  ピチピチふるえて待ちかまえている。
  真理がとんでくる。電波のように――。
  それをかんじて言いあらわす。

  少年少女諸君。詩人は君たちの友だちだ。諸君も詩人である。

               昭和23年1月           」
 


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2 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-03-14 16:10:04
今の子供達がこんな楽しい詩を書くことができるかと思うくらい夢のある詩ですね。また、それが私の生まれた、戦後それほど経っていない頃の詩ですから二重に驚かされました。
返信する
こんにちは。 (和田浦海岸)
2023-03-14 16:30:47
こんにちは。水仙さん。
コメントありがとうございます。

大村はま。竹中郁。井上靖。丸山薫。
戦前から繋がっているのでしょうが、
それぞれの戦後スタートを思います。
返信する

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