映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

my dinner with andre  ルイマル

2011-01-03 07:47:58 | 映画(洋画 89年以前)
my dinner with andre は「死刑台のエレベーター」のルイ・マル監督が1981年に作った映画である。ほとんど男2人の会話だけという形と、内容が難解ということで、日本では公開されたことがない。しかし、世界的評価は極めて高い。日本語字幕の入った映画やビデオは存在しない。

そんな貴重な映像を正月早々字幕付きで見ることができた。

高校時代のクラス担任の先生から毎年メールでの年賀状が来る。先生は非常にまじめな英語教師でもう70をすぎた。リタイアされているが、若き日に通訳の国家試験に受かったこともあり、ボランティアで外国人が新婚旅行などで日本に来るときのガイドをしている。逆にガイドした人の処を訪れたり、ある意味すばらしい老後を送っている。そんな先生が数年前英会話のお手本として映画my dinner with andreを紹介された。ITの能力にたけている先生のHPに解説付きでビデオクリップがついていた。日本語でも難しい内容なのに、残念ながらそれを解する英語力は自分にない。字幕があればなあと思っていた。

いつも年賀にメールで返事をしている。昨年スタンフォード大学のティナシーリグ教授の「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んだ時、my dinner with andre の中のセリフが引用されていた。
「ニューヨーカーは看守でもあり、囚人でもある。自分たちのつくった監獄を出ることもできないし、監獄と気づくことすらできない。」
引用されている話を先生にメールした。my dinner with andreのことに気がついたことを先生に喜んでいただいて、先生から「お年玉」?をいただいた。なんと先生自家製の字幕付きのプライベート版 my dinner with andre の映像である。字幕制作って大変な作業だと思う。おかげで世界のインテリ層に名だたる名作といわれる作品を見ることができた。
すごいお年玉であった。

2人は、共にニューヨークに住む ウォーレスショーンと アンドレグレゴリーで、ウォーレスの作品をアンドレが以前上演したことがあった。この映画の脚本のクレジットは2人の名前である。要はリアルな会話なのである。架空の脚本家と舞台監督を演じているわけではない。

画面に若ハゲのウォーレスが出てくる。彼は36才の売れない脚本家である。めしを食うために俳優業もしている。ニューヨークのアッパーサイドで生まれ、裕福な家庭に育ちハーバード大出だ。でも今は日々の生活にも困る始末だ。顔も貧相だ。このころでいえばウディアレン「マンハッタン」に出ている。
その彼が夕食に元の仲間アンドレから誘われた。10才年上のアンドレは、名だたる舞台監督であった。彼もハーバードの先輩。しかし人々が実生活で演劇以上にうまく「演技」しているのを見て、自分がやっていることに嫌気がさした。突如演劇界から降りて、新しい演劇の可能性や人生を模索するために世界を放浪し、ニューヨークに戻ってきた。



クラッシックの生演奏が流れる高級レストランに誘われ、ウォーレスはとまどう。勘定もアンドレ持ち。お互いの近況を話した後に、ウォーレスがアンドレにここ数年演劇界を離れた理由を尋ねる。
一方的にアンドレが世界放浪した話をする。凄い話だ。自分の体験したことを話しているが、下界の世界を超越しているような話だ。難解だ。これは何回も見ないと理解できないであろう。

そのあとで二人の議論が始まる。これがおもしろい!

数多くとりあげたいことはあるが「電気毛布」の議論を紹介する。
貧しいウォーレスは、クリスマスに「電気毛布」を贈られて、生活が全く変ったと喜ぶ。眠りも違うし、まるで別世界に生きているようだと感嘆する。



一方、アンドレは、電気毛布に包まれて感電死するのはごめんだよと言い「電気毛布の快適さが曲者で、現実感覚を失うことになる危険がある」と反論する。

「もし電気毛布がなかったら、もう1枚毛布を探すとか、コートを探してきて何枚もかけるとかして、寒いという感じを忘れないでいることができる。隣の人が寒いんじゃなかろうか…という同情心、思いやりの気持も出てくる。また『寒さって良いなあ。寄り添って暖めあうこともできる!』なんていう場面だってあるだろう」
「電気毛布は、外の刺激を受けないために精神安定剤を使うのと同じで、それを喜ぶのは、テレビ中毒と同じ脳神経の退化現象に似ている。」と言う。

 ウォーレスいわく
「ニューヨークは寒いんだ。アパートの部屋も寒い。生活も厳しい。このつつましい安らぎを俺は絶対手放さないぞ! このピリピリすることばかりの世の中で、もっと安らぎが欲しいくらいだよ」

 「いいか、その快さが危険なんだよ。快適さを求めるのは自然なことだが、快さにだまされて、自分が落ち込んでいく危険に気がつかないんだよ。昔大金持ちのご婦人がいたんだがね、何と餓死してしまったんだよ。彼女は鶏しか食べなかった。鶏が大好物で、鶏を食べているときだけが幸せだった。知らず知らずのうちに、身体が弱り、遂には死んだ。でも、我々は今皆、ご婦人と一緒なんだよ。快適な電気毛布に包まれて、食いたい物しか食わない。現実世界との接触がない生活では、真に命に必要なものを取り入れることはできないんだよ」とアンドレは反論し、話は進んでいく。
コメント (5)
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