この前、加藤周一の話をした。
彼が生まれてから40歳過ぎまでの生き様を書いた「羊の歌」というのが岩波新書にある。
岩波新書でもナンバー96と2桁だ。
1919年の渋谷生まれだ。開業医の息子である。
小学5年で当時の東京府立一中へ飛び級、旧制一高、東大医学部のエリートコースを歩む。
それだけ聞くと何から何までうまく行っているように見える。でもそれを超越した何かを人生でつかんでいき成長する姿が描かれる。一種の私小説である。その中で様々な人物が出てくる。
祖父や父親といった親族、小学校の同級生、教員、身のまわりの世話をしてくれた人、旧制中学、高校の同級生、文学に目覚めた人たち、戦時体制についていこうとした人たち、反発していた人たち。医学の仲間、パリの在留邦人、さまざまな恋した女性などなど。その人たちの姿がスケッチをするがごとく描かれている。
父親の人物像がおもしろい。父親は埼玉熊谷の近郊の豪農の生まれで、跡取りは家督の兄に譲る次男坊
若き日より秀才で、東京帝大医学部を出たが、出世レースで不遇となり開業医になっている。
それも全然商売っ気のない開業医だ。目立たない看板を立てて、無愛想な診察をして、あえて薬を投与しないこともあるような変わり者の医者だ。隠者ということであろう。
はたまた母方の祖父の自由奔放振りが傑作だ。地方の素封家の息子で明治の時代に外遊で遊んでいるような希少価値の人だ。渋谷に多数の家作を持つ。その財産を食いつぶしてのんびり遊んで暮らしている。
妻のほかにも女がいるようだ。孫もたまにその女性と会うところに連れて行く。そんな祖父に父はあまり良い顔をしない。対照的な二人だが、祖父も父も徐々に落ちぶれていく。
また今から80年近く前の東京の渋谷周辺の様子が手に取るようにわかる。
渋谷の金王町で生まれ、育った町並みの様子。
縁日のテキヤの口上の響き
家の中で静かにしていれば聞こえるさまざまな音。
納豆売りの声や豆腐屋のラッパの音。シナそば屋の笛
少し前の東京では聞くことができた音だ
そういった物売りが近くに来る音などのさまざまな描写が素敵だ。
小学生時代の記述がある。
貧富の差が激しい時期、中学に行く人間とそうでない人間とが区別されてクラス替えになる話。
低学年のときに自分と同じくらい勉強ができた大工のせがれの家に遊びに行ったが、
兄弟の子守に追われて付き合ってくれず、家に帰って勉強できない彼を見て哀しく思った話。
彼は小学校で終えるクラスになったようだ。
縁日になり、道玄坂の氷屋にカキ氷を食べに入ったら、同じクラスの出来の悪い同級生がいた。
その同級生は学校の振る舞いとはまったく違う、身軽さで店に来るお客をさばいていた。
別人のような俊敏な友人を見たときの気持ちの表現などなど。。。大衆的な匂いもある
当時の金持ちの子は、普通の小学校に行くのではなく師範学校付属や私立などに行き、町民と違う
学問を受けていた。あえて父親がそうしなかった。その中で彼は「下野の世界」を知った。
でも、それ自体が加藤周一の奥行きの深さにつながっているように思える。
小学校5年でその世界を離れて府立一中にいく。
もちろんそのあとも面白い話が盛りだくさんだが、なんか彼もさみしげだ。
全般的にきれいな日本語を使った昔の都会の情景描写が美しい。
こんなにきれいな日本語ってあるのであろうかと思う。その美しい情景を願わくば、映像として観てみたいものである。しかも、文章がわかりやすい。だからといって軽くない。これってものすごく難しい。妙に難しい言葉をあえて使っていない。さすがである。
加藤周一は訳のわからない左翼政治理論家を否定していた。彼らからは、耳慣れぬ抽象的な言葉がたくさん出てくるだけで、どこへ続くのかわからない。「良く考えられたことは明瞭に表現される。」文章があいまいなのは、多くの場合に、単なる技術面ばかりでなく、言おうとすることを筆者がよく考えていなかったということ、あるいは文章の内容を、作者自身が十分に理解していなかったということを意味する。
そのいいお手本である。
彼が生まれてから40歳過ぎまでの生き様を書いた「羊の歌」というのが岩波新書にある。
岩波新書でもナンバー96と2桁だ。
1919年の渋谷生まれだ。開業医の息子である。
小学5年で当時の東京府立一中へ飛び級、旧制一高、東大医学部のエリートコースを歩む。
それだけ聞くと何から何までうまく行っているように見える。でもそれを超越した何かを人生でつかんでいき成長する姿が描かれる。一種の私小説である。その中で様々な人物が出てくる。
祖父や父親といった親族、小学校の同級生、教員、身のまわりの世話をしてくれた人、旧制中学、高校の同級生、文学に目覚めた人たち、戦時体制についていこうとした人たち、反発していた人たち。医学の仲間、パリの在留邦人、さまざまな恋した女性などなど。その人たちの姿がスケッチをするがごとく描かれている。
父親の人物像がおもしろい。父親は埼玉熊谷の近郊の豪農の生まれで、跡取りは家督の兄に譲る次男坊
若き日より秀才で、東京帝大医学部を出たが、出世レースで不遇となり開業医になっている。
それも全然商売っ気のない開業医だ。目立たない看板を立てて、無愛想な診察をして、あえて薬を投与しないこともあるような変わり者の医者だ。隠者ということであろう。
はたまた母方の祖父の自由奔放振りが傑作だ。地方の素封家の息子で明治の時代に外遊で遊んでいるような希少価値の人だ。渋谷に多数の家作を持つ。その財産を食いつぶしてのんびり遊んで暮らしている。
妻のほかにも女がいるようだ。孫もたまにその女性と会うところに連れて行く。そんな祖父に父はあまり良い顔をしない。対照的な二人だが、祖父も父も徐々に落ちぶれていく。
また今から80年近く前の東京の渋谷周辺の様子が手に取るようにわかる。
渋谷の金王町で生まれ、育った町並みの様子。
縁日のテキヤの口上の響き
家の中で静かにしていれば聞こえるさまざまな音。
納豆売りの声や豆腐屋のラッパの音。シナそば屋の笛
少し前の東京では聞くことができた音だ
そういった物売りが近くに来る音などのさまざまな描写が素敵だ。
小学生時代の記述がある。
貧富の差が激しい時期、中学に行く人間とそうでない人間とが区別されてクラス替えになる話。
低学年のときに自分と同じくらい勉強ができた大工のせがれの家に遊びに行ったが、
兄弟の子守に追われて付き合ってくれず、家に帰って勉強できない彼を見て哀しく思った話。
彼は小学校で終えるクラスになったようだ。
縁日になり、道玄坂の氷屋にカキ氷を食べに入ったら、同じクラスの出来の悪い同級生がいた。
その同級生は学校の振る舞いとはまったく違う、身軽さで店に来るお客をさばいていた。
別人のような俊敏な友人を見たときの気持ちの表現などなど。。。大衆的な匂いもある
当時の金持ちの子は、普通の小学校に行くのではなく師範学校付属や私立などに行き、町民と違う
学問を受けていた。あえて父親がそうしなかった。その中で彼は「下野の世界」を知った。
でも、それ自体が加藤周一の奥行きの深さにつながっているように思える。
小学校5年でその世界を離れて府立一中にいく。
もちろんそのあとも面白い話が盛りだくさんだが、なんか彼もさみしげだ。
全般的にきれいな日本語を使った昔の都会の情景描写が美しい。
こんなにきれいな日本語ってあるのであろうかと思う。その美しい情景を願わくば、映像として観てみたいものである。しかも、文章がわかりやすい。だからといって軽くない。これってものすごく難しい。妙に難しい言葉をあえて使っていない。さすがである。
加藤周一は訳のわからない左翼政治理論家を否定していた。彼らからは、耳慣れぬ抽象的な言葉がたくさん出てくるだけで、どこへ続くのかわからない。「良く考えられたことは明瞭に表現される。」文章があいまいなのは、多くの場合に、単なる技術面ばかりでなく、言おうとすることを筆者がよく考えていなかったということ、あるいは文章の内容を、作者自身が十分に理解していなかったということを意味する。
そのいいお手本である。