映画「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」を映画館で見た。
久々の大好きなコーエン兄弟の監督作品
彼らの新作は必ず映画館に向かうことにしており、楽しみにしていた。
自分には今一つ面白くなかった。売れないフォークシンガーの八方ふさがりのドツボぶりを描く映画だが、期待したほどの切れ味がない。ルーウィン・デイヴィスの持ち歌は情感こもっていい歌だが、何か残るほどではない。ロードムービーとしての要素も中途半端だし、ちょっと残念
(作品情報より引用)
物語の舞台はまだマスコミやレコード会社などが発達していなかった1961年、NYのグリニッジ・ヴィレッジ。
ライブハウスで歌うフォーク・シンガーのルーウィン・デイヴィス(オスカーアイザック)は、最近何をやっても裏目に出てばかり。一文無しで知り合いの家を泊まり歩く日々。つい手を出した女友達(キャリー・マリガン)からは妊娠したことを告げられ、おまけに仕方なく預かるはめになった猫にも振り回される始末。
山積みになったトラブルから逃げ出すようにルーウィンはギターと猫を抱えて人生を見つめ直す旅に出る。ジャズ・ミュージシャン、ローランド(ジョン・グッドマン)との悪夢のようなドライブ、歌への信念を曲げれば成功するかもしれなかった有名プロデューサーのオーディション、年老いた父との再会の末、とうとう歌をやめて父と同じ船員に戻ろうと決意するが、それさえもうまくいかない。
旅から戻りあらゆることに苦しめられ打ち拉がれたルーウィンはまたNYのライブハウスにいた。
この不満足は何?と思ってしまう。
演奏の場面が長すぎるのではないか?フォークシンガーの生きざまに焦点を当てるわけであるから、彼の歌が何度も流れるのは仕方ない。コーエン兄弟の作品は総じて90~100分程度にまとまっている映画が多い。ここでもそうだ。その時間内に演奏を何曲もやってしまったら、時間が残り少なくなる。そうするとコーエン兄弟得意のブラックジョークの出番が短縮されるわけである。
1.ルーウィン・デイヴィス
今回はフォークシンガーのデイヴ・ヴァン・ロンクが書いた自伝を元につくられたらしい。八方ふさがりで、レコードがまったく売れず印税が入らない。家賃が払えないので知人の部屋を渡り歩き、ソファで夜を過ごす。それでもボブディランが憧れていたという。主演のオスカーアイザックの歌は確かに味がある。でも映画の中でライブハウスの店主が「フォークソングじゃ客は呼べないからなあ」と言っているセリフがある。その通りだ。味があってもするっと通り過ぎるだけになる。
2.キャリーマリガン
キャリーマリガンの出番は少ない。主人公の子供を懐妊したのに自分のステディの子かどっちの子なのかわからないと言う。でもアバズレじゃない。彼女が出る作品はほとんど観ている。「華麗なるギャツビー」の派手さはなく、「ドライヴ」で見せた哀愁感もない代わりに妙にかわいい。60年代前半の女性を意識したのかもしれない。なかなかいい感じで自分好みだ。
3.ジョングッドマン
ジョングッドマンはコーエン兄弟の映画では欠かせない存在だ。「赤ちゃん泥棒」や「バートン・フィンク」でのパフォーマンスを想像するだけで吹き出してしまう。今回もセリフ少ないが、重要な存在だ。トイレで顔をフロアにくっつけてぶっ倒れている姿は笑える。いかにも身体が病的で実生活でも早くあの世に行ってしまわないか心配してしまう。
4.猫
名前がユリシーズというのは固有名詞にいつもこだわるコーエン兄弟らしい。
これがなかなかの活躍、よくてなづけたものだ。縦横無尽によく動く。
主人公と一緒に視線を動かすシーンには唸ってしまう。
最後店のステージにボブ・ディランらしきシンガーの姿がある。かすれ声にハーモニカで名前は出てこないが彼を意識している。彼の歴史を追っても人気が出るまでしばらくかかるようだ。
久々の大好きなコーエン兄弟の監督作品
彼らの新作は必ず映画館に向かうことにしており、楽しみにしていた。
自分には今一つ面白くなかった。売れないフォークシンガーの八方ふさがりのドツボぶりを描く映画だが、期待したほどの切れ味がない。ルーウィン・デイヴィスの持ち歌は情感こもっていい歌だが、何か残るほどではない。ロードムービーとしての要素も中途半端だし、ちょっと残念
(作品情報より引用)
物語の舞台はまだマスコミやレコード会社などが発達していなかった1961年、NYのグリニッジ・ヴィレッジ。
ライブハウスで歌うフォーク・シンガーのルーウィン・デイヴィス(オスカーアイザック)は、最近何をやっても裏目に出てばかり。一文無しで知り合いの家を泊まり歩く日々。つい手を出した女友達(キャリー・マリガン)からは妊娠したことを告げられ、おまけに仕方なく預かるはめになった猫にも振り回される始末。
山積みになったトラブルから逃げ出すようにルーウィンはギターと猫を抱えて人生を見つめ直す旅に出る。ジャズ・ミュージシャン、ローランド(ジョン・グッドマン)との悪夢のようなドライブ、歌への信念を曲げれば成功するかもしれなかった有名プロデューサーのオーディション、年老いた父との再会の末、とうとう歌をやめて父と同じ船員に戻ろうと決意するが、それさえもうまくいかない。
旅から戻りあらゆることに苦しめられ打ち拉がれたルーウィンはまたNYのライブハウスにいた。
この不満足は何?と思ってしまう。
演奏の場面が長すぎるのではないか?フォークシンガーの生きざまに焦点を当てるわけであるから、彼の歌が何度も流れるのは仕方ない。コーエン兄弟の作品は総じて90~100分程度にまとまっている映画が多い。ここでもそうだ。その時間内に演奏を何曲もやってしまったら、時間が残り少なくなる。そうするとコーエン兄弟得意のブラックジョークの出番が短縮されるわけである。
1.ルーウィン・デイヴィス
今回はフォークシンガーのデイヴ・ヴァン・ロンクが書いた自伝を元につくられたらしい。八方ふさがりで、レコードがまったく売れず印税が入らない。家賃が払えないので知人の部屋を渡り歩き、ソファで夜を過ごす。それでもボブディランが憧れていたという。主演のオスカーアイザックの歌は確かに味がある。でも映画の中でライブハウスの店主が「フォークソングじゃ客は呼べないからなあ」と言っているセリフがある。その通りだ。味があってもするっと通り過ぎるだけになる。
2.キャリーマリガン
キャリーマリガンの出番は少ない。主人公の子供を懐妊したのに自分のステディの子かどっちの子なのかわからないと言う。でもアバズレじゃない。彼女が出る作品はほとんど観ている。「華麗なるギャツビー」の派手さはなく、「ドライヴ」で見せた哀愁感もない代わりに妙にかわいい。60年代前半の女性を意識したのかもしれない。なかなかいい感じで自分好みだ。
3.ジョングッドマン
ジョングッドマンはコーエン兄弟の映画では欠かせない存在だ。「赤ちゃん泥棒」や「バートン・フィンク」でのパフォーマンスを想像するだけで吹き出してしまう。今回もセリフ少ないが、重要な存在だ。トイレで顔をフロアにくっつけてぶっ倒れている姿は笑える。いかにも身体が病的で実生活でも早くあの世に行ってしまわないか心配してしまう。
4.猫
名前がユリシーズというのは固有名詞にいつもこだわるコーエン兄弟らしい。
これがなかなかの活躍、よくてなづけたものだ。縦横無尽によく動く。
主人公と一緒に視線を動かすシーンには唸ってしまう。
最後店のステージにボブ・ディランらしきシンガーの姿がある。かすれ声にハーモニカで名前は出てこないが彼を意識している。彼の歴史を追っても人気が出るまでしばらくかかるようだ。