映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

マイアミ・バイス コリンファレル

2011-01-09 06:38:43 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
マイケルマン監督によるコリンファレル、ジェイミーフォックス共演のポリスアクション作品
ロードショウのときに見た。マイアミの風景とコリンファレルとコンリーの愛し合う姿が印象に残った。正月マイケルマン監督「コラテラル」を見て、久々に見てみようと思った。



マイアミバイスことマイアミ警察特捜課の刑事コンビことコリン・ファレルとジェイミー・フォックスは、仕事では抜群のチームワークだ。ある日、2人が使っている情報屋が家族を殺され、自分もフリーウェイに身を投げて自殺する事件が発生。さらにFBIの潜入捜査官2人も殺される。どうやら南米と北米を結ぶ巨大なドラッグ密輸コネクションに、合衆国司法機関の合同捜査の極秘情報が大量に漏えいしているらしい。FBIは合同捜査と関係がないマイアミ・バイスに白羽の矢を立て、拠点である南米コロンビアに乗り込み、麻薬ディーラーとして組織と接触し、情報漏えいのルートを見つけ出す特別任務を彼らに与えるが。。。。

久々見てストーリーがよくわかりづらい映画だと思った。一度見ているので結末までわかっている。でも上で説明したあらすじが単に映像を見ているだけでは理解できない。他のマイケルマン作品ではこういうことはないんだけれど。。。。

マイアミには行ったことがないので、こういう映像がきれいな作品を見るとわくわくしてしまう。
「コラテラル」でもナイトクラブでの狙撃劇があった。ここでのナイトクラブはコリンファレルと麻薬裏組織の重要人物コンリーのダンスの絡みだけであるが、これはなかなかいい。
ハバナに行く設定になっているが、本当にハバナで撮影したのかな?サルサは本物が演奏している感じがしたけれど。。

コンリーは中国映画でも初期を除いて性格のきつい女の設定が多い。「さらば、わが愛/覇王別姫」での配役はまさにその典型だろう。「サユリ」での芸者役もまさにその線だ。確かにあの顔つきはいかにも性格悪そうな女という感じだ。今回も麻薬裏組織の黒幕を演じていて、その線があるから採用されたのであろう。何でエスパニア系でなく東洋人?という気がするが、ハバナには中華系キューバ人がいるらしい。
一度実験的に使ってみたかったのかな?「007」でも時折東洋人のボンドガールいるもんね。ナイトクラブのダンスシーンはチャンツイィーよりもコンリーの方が似合うかな。

マイケルマンといえば、ロバートデニーロとアルパチーノ共演の「ヒート」の銃撃戦が有名。ここでも銃撃戦はなかなか激しい。彼の作品は前半から飛ばしていくスピード感がいい。この作品にもその匂いはあるが、ストーリーがもう少し観客に親切だといいんだけれど。。。。
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男はつらいよ寅次郎の休日 渥美清

2011-01-07 05:59:33 | 映画(日本 1989年以降)
寅さんシリーズ第43作目である。90年の暮れの作品だ。
このころになると甥っ子の吉岡が大学生になっている。その出番がすこしづつ増え始めるころだ。
初期のころと違う「男はつらいよ」もたまには見てみたい。後藤久美子がレギュラーになってくる。
ただ山田洋次によればこのころから渥美の衰えが目立ったらしい。確かにそれはわかる。



ついに大学に入った寅次郎の甥吉岡秀隆は悪友と遊びまわる毎日、一人住まいをしたいと言っては母のさくらこと倍賞千恵子に怒られていた。それでも出ようとしたある日、名古屋に住む一年前の初恋の相手こと後藤久美子がやって来る。久美子は両親の別居という不自然な生活に耐えられず、愛人と同居しているという父こと寺尾聡を説得しに来たのだったが、父親は九州の日田にいた。そんな久美子の切実な思いに動かされたが、さくらたちはいったん親元の名古屋に帰そうとする。
しかし、東京駅まで見送った吉岡も一緒に九州まで行ってしまう。そんな息子にオロオロしてしまうさくらに寅次郎は説教する。ところが泉の母こと夏木マリがくるまやに現れたことによって寅次郎は「すぐ探しに行きましょう」と、引き留めるさくらたちを振り切って二人出て行ってしまうが。。。。

「男はつらいよ」は時代を飛ばして見てみると新鮮な発見がある。
確かに初期に比べて明らかに渥美清の出番が減っている。毎回同じように柴又の団子屋での家族団欒のシーンがある。以前だったらタコ社長の毒舌に帰ってきた寅次郎が毎回ケンカを吹っ掛けるのであるが、大暴れにはなっていない。ずっと見ているファンもよくわかっているだろう。
ワンパターンなようでそうはなっていない。

得意のテキヤ口上は最後に関敬六と一緒にすこしだけ。これはいつもながら冴える。
生前渥美清は「おれも若いころは少しぐれたところもあって」といいながら、その経験を生かしたような鮮やかな口上を披露する。脚本を兼ねる山田洋次監督もここは好きにやらせているのであろう。
むしろ哲学的に近い、本来のキャラクターと違う高尚じみたセリフを言いながら途中でがくんと落とすパターンは脚本に加えて渥美のアドリブが加わっているといわれる。それがいい。
でもここではやはり盛りをすぎたと感じざるをえない。
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素晴らしき日  ジョージクルーニー&ミシェルファイファー

2011-01-06 19:06:08 | 映画(洋画 99年以前)
素晴らしき日はジョージクルーニーとミシェルファイファー共演の97年のラブコメディである。
原題one fine day その名の主題歌は元々キャロルキングの初期の曲だが、カーペンターズがアルバム「ナウアンドゼン」のメドレーの中で歌っているのでそちらの印象が強い気がする。懐かしい。
ニューヨークが舞台で別居する娘を預けられたジョージと息子同居で仕事に手がつかないミシェルがそれぞれの子供に振り回されながら気がつくと好意を寄せる話だ。



主人公ミシェル・ファイファーは、夫と離婚して、建築設計の仕事に追われながら5歳の男の子を育てている。新聞のコラムニストのジョージ・クルーニーは、再婚した元妻から新婚旅行の間預かってほしいと、5歳の娘を押しつけられた。突然の話で戸惑う。ジョージは勝手わからないままに、野外授業のため、見送りに来たが遅刻。同じように遅刻してきた娘の同級生のミシェル親子と出くわす。タクシーで追いかけるが桟橋に着くと船は出た後、ドタバタしているうちに子供たちが携帯電話を取り替えてしまう。その日、設計士であるミシェルは大切な顧客へのプレゼンテーションがある。ところが息子の面倒に目を離したすきにつくってきた模型を壊してしまう。あわてて取り繕うミシェルだ。
ミシェルの電話へは仕事の用件で会社から、そしてジョージの電話にはミシェルの母親リタが電話をかけてきた。2人は携帯電話を通して会話することになるが、ののしりあう連続だ。
市長が賄賂を受け取っていると朝刊ですっぱ抜いたジョージの記事が問題になっていた。新聞社のデスクは彼に「ガセネタだったらクビだ」と宣告。市長が記者会見を開く5時までに裏を取らなければならないが子供の面倒ですったもんだ。。。

見ていると不愉快になるような発言ふるまいがたくさんある。
そもそも別れた妻が自分の再婚旅行に行くのに、息子を元夫ジョージに預けるといった設定がちょっと常識はずれな気がする。でもアメリカだとこういうことってあるのかなあ?その元妻の態度を見ているといらいらした。しかも、預けられた子供たちのわがままなこと!極まりない。総てが自分中心にまわっているようなセリフを見ているだけで腹が立った。
ジョージとミシェルもケンカし放題。ミシェルのヒステリーは異常気味
とはいうものの、わざと観客をいらいらさせるためにそうしているのかもしれない。



そうやって考えながら最後まで見た。
映画としてはいい部類に入ると思う。この映画もマンハッタンが舞台だが、キャリアばりばりの男女が子供を預けれておどおどする設定の映画は実に多い。ずっと作り続けられているのを見ると、ビジネスセレブではかなり深刻に考えられていることなのであろう。

最近のラブコメの映像トーンがかなり原色が強い色を使っていて派手な感じがするのに対して、13年前のこの映画のトーンは比較的落ち着いている。しっくりするのはこちらの方かもしれない。携帯電話の普及時期だと思うけど、受話器がでかい。そこは時の流れを感じた。

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スラップショット ポールニューマン

2011-01-05 11:39:14 | 映画(洋画 89年以前)
スラップショットはポールニューマンが1977年52歳のときにつくったアイスホッケーを題材にした映画である。監督は名コンビのジョージロイヒル。「暴力脱獄」「ハスラー」といった作品で示すポールニューマンが本来持つワイルドな部分がにじみ出る作品だ。



アイスホッケーのマイナー・リーグのチーフスは三流チーム。しかも本拠地の鉄工場が不況で閉鎖するため、今後の観客動員も見込めない。選手兼コーチことポール・ニューマンも不安に思っていた。チームの解散を覚悟するが、マネジャーは、解散どころか新しく3人をチームに入れる。この3人組、ド近眼の眼鏡をかけたいかにも馬鹿な奴らだ。
ポールニューマンは私生活の方もうまくいかず、主力選手も女房とは別居中。試合も負けがつづく。そんなある試合で、選手が相手のゴールキーパーに、「お前の女房はレズだ」とののしり、乱闘して勝利をものにする。新加入の3人組がハチャメチャに相手選手を挑発する。そしてポールニューマンコーチを先頭にチーフスのチームは乱闘を前提とした汚い試合で勝ち続けるようになるが。。

52歳のポールニューマンはまだカーレーサーとしてもその実力を発揮していた。ル・マン24時間レースにも出ているころである。「明日に向かって撃て」に続き「スティング」も大ヒットして大スターの地位を確立する。「タワーリングインフェルノ」ではものすごいギャラをもらったらしい。
そののち日産のスカイラインのCMにも出ていた。日本の若者からは羨望のまなざしで見られる存在だった。そののちの枯れ切った演技からすると、この映画については初期のワイルドな匂いが強い。
ラフファイトが続き、それを先導する立場のコーチというのが「暴力脱獄」の彼を連想させる。

ロケ地はアメリカでも田舎町、大工場に支えられているような企業城下町である。そういえば「ディアハンター」のロケ地も似たような風貌をしていた気がする。人々の動きに洗練されたところが全くない。あえてそういうロケーションを監督は選んでいるのであろう。チーム連中もケンカばかりしている。ベトナム戦争終了直後のそういう荒れ狂ったアメリカのワイルドさがよくわかる。

映画としては荒いところが見えすぎる気がする。
そんなに好きになれないが、監督特有のユーモアのセンスは垣間見れた。
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エスター 

2011-01-04 06:02:47 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
エスターは異常な子供をクローズアップしたサイコサスペンスだ。
ブログでコメントをいただいたpaceolaさんのお勧めで見た映画だ。確かにこれは怖い。
恐怖の波状攻撃で何度も身体をびくつかせてしまった。


赤ん坊が死産するシーンからスタートする。落胆する妻ことベラ・ファーミガと夫ことピーター・サースガードの夫婦。息子と聴覚障害者の娘の2人の子供がいた。妻はアルコール依存症がもとで、娘を溺れさせかけたことがあった。その上に起きた悲劇をふまえて、生まれ変わりと考え養子を迎えることを決意し孤児院を訪れた。そこで出会ったのは、エスターことイザベル・ファーマンという名のロシア生まれの少女であった。エスターは一人離れて行動し子供とは思えぬきれいな絵を描いていた。その頭のよさに惹きつけられた夫婦はエスターを養子に迎えることとした。

一緒に暮らしはじめ、聴覚障害の妹とも手話でやり取りができるようになり、家族になじんだ。ところが独特の風貌と自分勝手な動きにまわりの子供がいじわるをした。みんなから異様な扱いを受けた。
エスターは、次第に隠された本性を現し始める。彼女は、その姿からは想像できない凶暴さを秘めていたのだ。いじわるをされた子供に復讐をしようとするが。。。

母親役のベラ・ファーミガはつい先日「マイレージマイライフ」ジョージクルーニーと共演していたウクライナ系の美女。他にも見たことがある。父親のピーター・サースガードもトレンディ映画の常連で、「クレイジーハート」で取り上げたばかりのマギーギレンホールと結婚してまもない。
わりと最近の映画によく出る普通の俳優を起用することで、普通のアメリカ人の家庭を連想させる。風景は北部の寒いところで、雪景色の中のウッディで素敵な家に住む家庭だ。そんなロケーションの中どのように展開するかと思うが、サウンド効果が何も起こらないときからスリラーの匂いをぷんぷんさせる。そして凶暴さを発揮しはじめた時からの波状攻撃はすごい!
ここでは書ききれないが、最後までこれでもかと見るものをどきどきさせる行為をする。
イヤーまいった。



何も養子なんてもらわなくてもと思ってしまうが、そこが諸外国と日本の違うところだ。
戦前の日本はもっとまずしく今よりも養子縁組は多かったという。
韓国映画「冬の小鳥」でも感じたが、外国の子供のできない親はついつい孤児院に頼る。
別の意味でのお見合いである。ここではorphanが原題である。日本では直訳での上映無理だろうなあ。
この映画はホラーとは思えない。それを超越した何かを感じさせる。

それにしてもエスターの子役の活躍はすごい!怪演である。
これだけの映画にするのには恐るべきパワーがいる。
これからの活躍に十分期待できる。どういうタッチの映画に進むか分からないが。。。。

自分からだったら絶対に見ないタイプの映画なのでたまにはよかった。
どうもありがとう!
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my dinner with andre  ルイマル

2011-01-03 07:47:58 | 映画(洋画 89年以前)
my dinner with andre は「死刑台のエレベーター」のルイ・マル監督が1981年に作った映画である。ほとんど男2人の会話だけという形と、内容が難解ということで、日本では公開されたことがない。しかし、世界的評価は極めて高い。日本語字幕の入った映画やビデオは存在しない。

そんな貴重な映像を正月早々字幕付きで見ることができた。

高校時代のクラス担任の先生から毎年メールでの年賀状が来る。先生は非常にまじめな英語教師でもう70をすぎた。リタイアされているが、若き日に通訳の国家試験に受かったこともあり、ボランティアで外国人が新婚旅行などで日本に来るときのガイドをしている。逆にガイドした人の処を訪れたり、ある意味すばらしい老後を送っている。そんな先生が数年前英会話のお手本として映画my dinner with andreを紹介された。ITの能力にたけている先生のHPに解説付きでビデオクリップがついていた。日本語でも難しい内容なのに、残念ながらそれを解する英語力は自分にない。字幕があればなあと思っていた。

いつも年賀にメールで返事をしている。昨年スタンフォード大学のティナシーリグ教授の「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んだ時、my dinner with andre の中のセリフが引用されていた。
「ニューヨーカーは看守でもあり、囚人でもある。自分たちのつくった監獄を出ることもできないし、監獄と気づくことすらできない。」
引用されている話を先生にメールした。my dinner with andreのことに気がついたことを先生に喜んでいただいて、先生から「お年玉」?をいただいた。なんと先生自家製の字幕付きのプライベート版 my dinner with andre の映像である。字幕制作って大変な作業だと思う。おかげで世界のインテリ層に名だたる名作といわれる作品を見ることができた。
すごいお年玉であった。

2人は、共にニューヨークに住む ウォーレスショーンと アンドレグレゴリーで、ウォーレスの作品をアンドレが以前上演したことがあった。この映画の脚本のクレジットは2人の名前である。要はリアルな会話なのである。架空の脚本家と舞台監督を演じているわけではない。

画面に若ハゲのウォーレスが出てくる。彼は36才の売れない脚本家である。めしを食うために俳優業もしている。ニューヨークのアッパーサイドで生まれ、裕福な家庭に育ちハーバード大出だ。でも今は日々の生活にも困る始末だ。顔も貧相だ。このころでいえばウディアレン「マンハッタン」に出ている。
その彼が夕食に元の仲間アンドレから誘われた。10才年上のアンドレは、名だたる舞台監督であった。彼もハーバードの先輩。しかし人々が実生活で演劇以上にうまく「演技」しているのを見て、自分がやっていることに嫌気がさした。突如演劇界から降りて、新しい演劇の可能性や人生を模索するために世界を放浪し、ニューヨークに戻ってきた。



クラッシックの生演奏が流れる高級レストランに誘われ、ウォーレスはとまどう。勘定もアンドレ持ち。お互いの近況を話した後に、ウォーレスがアンドレにここ数年演劇界を離れた理由を尋ねる。
一方的にアンドレが世界放浪した話をする。凄い話だ。自分の体験したことを話しているが、下界の世界を超越しているような話だ。難解だ。これは何回も見ないと理解できないであろう。

そのあとで二人の議論が始まる。これがおもしろい!

数多くとりあげたいことはあるが「電気毛布」の議論を紹介する。
貧しいウォーレスは、クリスマスに「電気毛布」を贈られて、生活が全く変ったと喜ぶ。眠りも違うし、まるで別世界に生きているようだと感嘆する。



一方、アンドレは、電気毛布に包まれて感電死するのはごめんだよと言い「電気毛布の快適さが曲者で、現実感覚を失うことになる危険がある」と反論する。

「もし電気毛布がなかったら、もう1枚毛布を探すとか、コートを探してきて何枚もかけるとかして、寒いという感じを忘れないでいることができる。隣の人が寒いんじゃなかろうか…という同情心、思いやりの気持も出てくる。また『寒さって良いなあ。寄り添って暖めあうこともできる!』なんていう場面だってあるだろう」
「電気毛布は、外の刺激を受けないために精神安定剤を使うのと同じで、それを喜ぶのは、テレビ中毒と同じ脳神経の退化現象に似ている。」と言う。

 ウォーレスいわく
「ニューヨークは寒いんだ。アパートの部屋も寒い。生活も厳しい。このつつましい安らぎを俺は絶対手放さないぞ! このピリピリすることばかりの世の中で、もっと安らぎが欲しいくらいだよ」

 「いいか、その快さが危険なんだよ。快適さを求めるのは自然なことだが、快さにだまされて、自分が落ち込んでいく危険に気がつかないんだよ。昔大金持ちのご婦人がいたんだがね、何と餓死してしまったんだよ。彼女は鶏しか食べなかった。鶏が大好物で、鶏を食べているときだけが幸せだった。知らず知らずのうちに、身体が弱り、遂には死んだ。でも、我々は今皆、ご婦人と一緒なんだよ。快適な電気毛布に包まれて、食いたい物しか食わない。現実世界との接触がない生活では、真に命に必要なものを取り入れることはできないんだよ」とアンドレは反論し、話は進んでいく。
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コラテラル トムクルーズ

2011-01-02 16:51:34 | 映画(自分好みベスト100)
トムクルーズが非情な殺し屋を演じるマイケルマン監督の犯罪サスペンスアクションである。
自分の中でのベスト10に入るテンポのいい作品で、時間をおきながら何度も見ている。
いつみてもいい。見るたびごとに新しい発見がある傑作である。


ロスのタクシー運転手ことジェイミー・フォックスは、客から行き先を聞くと瞬時に最短ルートとその所要時間を計算するドライバーである。ある晩、一人の男ことトム・クルーズを乗せた。住所をいって瞬時に所要時間7分といい、その通りに着いた。腕を見込んだトムは600$で一晩タクシーを借りきるという。規定違反だがその話にのる。車から外に出たトムを待つと、いきなり死体が隣のビルから車体へ落ちてくる。
どうやらトム・クルーズがやったようだ。ジェイミーはおびえたが、やむなく死体をトランクに運び、男の言うとおりにタクシーを運転する。トムは殺し屋で、一晩に5人を殺す仕事を受けていたのであった。

セリフのセンスはいいし、ロス市内を縦横無尽に走るアクションシーンは抜群だ。この映画でのトムクルーズは驚くほどに身が軽い。拳銃によるアクションシーンに無駄がない。障害物競走のように次から次へと目の前に何かが現れるが、冷静沈着かつ完ぺきな仕事?ぶりでさばいていく。悪役を演じたトムクルーズが他の作品に見られない狂喜の演技を見せる。
出足でトランスポータージェイソンステイサムトムクルーズに標的の資料を受け渡す場面が出てくる。二人の顔をみてふと思った。トムとジェイソンとは格が違うなって!


そのバックは夜が実に似あうロスだ。
普通のダウンタウンだけでなく、高層オフィスビル、ジャズクラブ、ナイトクラブと現代ロスの夜を象徴するような場所を廻る。トムとジェイミーの会話の応酬は普通の会話ではない。トムの背景はわからないが、ダーウィンに、フロイトに、マイルスデイヴィスと多くのジャンルにいろんなうんちくを持つ。そこにウィットに富んだ言葉を混ぜながら、一つ一つの殺しのストーリーを積み上げていく。

これは脚本の奥の深さかと思う。
ジェイミーという人間像もこんな短い時間の中でよくわかってしまう。トムクルーズから逃げながらも逃げられない哀しいサガをうまく表現する。それでも映画の進行とともに本能的な平衡感覚を示していく。トムクルーズの役柄の人間像もあらわになるが、ゴルゴ31の伝説の生い立ちの諸説を思い出す。
ルーツを描いた「芹沢家殺人事件」を思い出した。

すばらしい!

何度も見ながら今回はっと気がついたことがある。
トムとジェイミーがロスのジャズクラブに入ってその演奏を聴く。トランペット率いるモダンジャズであるが、演奏の音色に聴きおぼえがあった。マイルスデイヴィスがジャズ史を塗り替えた傑作「ビッチェズ・ブリュー」の曲ではないか?でもまさかマイルスの曲はやるまいと思ったら、サントラの中にあった。「スパニッシュキー」である。中学から高校にかけてレコードが擦り切れるほど聴いた。
マイルスのトランペットが実に冴える曲だ。


トムクルーズがジャズクラブの店主に語る。「マイルスの音楽との出合いを正確に言ったら許してやる」と、果たして自らもトランペットをふく店主はちゃんと言えたであろうか?。。。。。
渋い場面だ。

コラテラル
悪役トムクルーズがスリリングなロスの夜を駆け抜ける
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オールド・ドッグ  ジョントラボルタ

2011-01-02 06:21:15 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
ジョン・トラボルタとロビン・ウィリアムズのベテラン俳優の共演である。
中年独身男性二人が7歳の双子を預けられ、悪戦苦闘するドタバタコメディ。サンドラブロックの「ウルトラアイラブユー」と同じでラジー賞候補となり、日本未公開であった。とはいうもののこの二人には他の俳優以上の思い入れがあり楽しみにしていた。腹を抱えて笑える場面も多く、気楽に楽しむのにはいいのでは?



バツイチのロビンウィリアムスと独身貴族のジョントラボルタは小さいころからの親友。仕事でもパートナーの二人は、日本企業を相手に大きな商談をしていた。そんな時、ある美しい女性がロビンを訪ねて来た。7年前にマイアミに行ったときにお付き合いした女性だった。子供のいる彼女はちょっとしたことで服役しなければならないという。気の毒に思いロビンは思わず引き受けてしまい、7歳の双子で実子を預かるハメに。最大の商談が成立するかもしれないな時期に、子育ての重荷が大きくのしかかるが。。。



ロビンとキッズたちが街を歩けば、親子ではなく祖父と孫の関係に間違えられてしまう。「オールドドッグ」との邦題であるが、原題はdogsとsがつく。要は二人の老人ということなのである。
至る所で笑いを誘うつぼを備えていて、笑い過ぎで何回も腹が痛くなった。

ジョントラボルタは「サタデイナイトフィーバー」で、ロビン・ウィリアムスは「グッドモーニングベトナム」で強い印象を与えた。その後それぞれの代表作はあるが、その2作の印象だけでいまだに映画界を渡り歩いている気もする。それぞれがバカになれるキャラだけに、コメディが実によく合っている。
サンドラブロックのラジー賞は、「行き過ぎた若造り」と解釈したが、これは何だろう?トラボルタの妻をロビンの彼女役にしたり、娘を親バカで出演させているということなのかしら?往年のセクシー女優妻の母親役アンマーグレットがケバイ化粧で出演したことか?わからない。
笑いを前面に出してTVコマーシャルとかやれば日本でヒットしたのではないか?

商談相手が日本企業である。90年代初頭のアメリカ映画の設定には、よくビジネスマンとしての日本人が出てきたものだ。最近ではめずらしい。日本経済の相対的実力低下を表わしている気がしたが、たまにはいい。現地人なのかどうかはよくわからなかったが、おかしな日本語が連発していたのは御愛嬌
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ジュリー&ジュリア  メリル・ストリープ&エイミー・アダムス

2011-01-01 10:36:18 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
今年も1から映画スタートだ。
まずはメリルストリープとエイミー・アダムスの「ジュリー&ジュリア」からスタートで行こう。
メリル映画では「恋するベーカリー」なんて詐欺のような邦題にだまされたが、この映画は完ぺきなグルメ映画である。1949年と2002年の二つの物語をうまく組み合わせて素敵な映画にしている。ノーラ・エフロン監督はラブコメ得意の大ベテランである。新年早々この見事な料理ぶりを観て、今年もいい年の予感がする。


1949年アメリカ人のジュリア・チャイルドことメリル・ストリープは、外交官の夫の転勤でパリにやって来る。ジュリアはフランス料理に目覚め、自分で料理を学ぼうと決意する。もともと料理の才能がない方で、実家からは料理人を派遣しようかといわれる始末であった。プロを目指す料理人の中で素人ぶりが目立ったが、負けん気を発揮して、腕を上げていく。そして料理本をつくろうとする話が仲間内から出てくるのであるが。。。


2002年のニューヨーク。作家になる夢に破れ、公社の電話オペレーターとして働く29歳OLのジュリー・パウエルことエイミー・アダムスにはやさしい夫がいる。クィーンズのピザ屋の2階に間借りして、911テロの後始末処理でうんざりする毎日を過ごしていた。ある日、料理が大好きな彼女は、料理研究家ジュリア・チャイルドの524のフレンチレシピを365日で作り、それを毎日ブログにのせることを思いつく。最初は失敗だらけであった。悪戦苦闘するジュリーのブログは注目をあびるようになるが。。。



このストーリーを交互に描いていく。メリルストリープはモデルのジュリアをまねしたと思われるカン高い声で話しながら、ジュリアの不器用な性格をうまく演じている。子供ができないことが唯一の悩みで、外交官である夫とは強烈に仲のいい夫婦であったようだ。
パリは昔からの建物がそのまま残っていて、時代をさかのぼったロケが普通にできてしまう。そこに室内の美術の巧みさが加わり、アメリカ人による素敵なパリがつくられている。時代設定が1949年だけに、赤狩りマッカーシー議員をメリルの父親が支持して、夫が反発するなんて話もある。奇妙なことに911テロ直後の市民相談係をやっているエイミーともども軽い政治的味付けがあるのも面白いところだ。


エイミー・アダムスもいい。お茶目な彼女が思い立って料理に挑戦する姿は、つい応援したくなるような何かを自分に感じさせてくれた。まあ料理のおいしそうなこと。映画の中でこれほどまでに並ぶのは珍しい。ホームパーティのシーンが楽しそう。誕生日パーティでみんなワッペンを付けているのが、かわいい。
あとは二人の夫がやさしいということ。女性が観ることを前提としているのであろう。こんな旦那だったら幸せになれるというのを前面に出しているような気がする。でも男が観てもいい映画だ。
一人で観に行く勇気はないけど。。。


ノーラ・エフロン監督といえば、脚本もこなし、「恋人たちの予感」「めぐり逢えたら」「ユーガッタメール」などを手掛けている。これらの作品の共通性はニューヨークである。そんなニューヨークを知り尽くした監督がさばくので、映画がうまくいかないはずがない。しかも、美術、インテリアのセンスは抜群だ。映像を心から楽しめた。

そういえばエイミーのパソコンがVAIOでテレビがSONYだった。考えてみたらコロンビア映画だったんだよね。
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