どこの山でも鹿の食害に悩まされていて保護柵の設置を余儀なくされている場所が多いと思う。山梨県では三ツ峠がいちはやく保護柵を設置し、はびこったテンニンソウや笹の除去を行い見事な植生の再生に成功している。その後櫛形山も設置したのだが、ほとんどアヤメの花が咲かなくなってしまってから設置したために遅過ぎたのではないかと懸念していた。しかし、すぐには植生は戻って来なかったものの保護柵設置後3年目あたりから植生が戻り始め、アヤメの数は年々増加してようやく紫色のお花畑が復活してきている。今回はそのような保護柵の設置の効果を経時的に撮影した写真データとともに考えてみたいと思う。

平成18年6月、まだ山歩きを始めたばかりの頃に登った櫛形山裸山の風景である。前年のアヤメの花穂が残っているがこの年はアヤメはわずかしか咲かなかった。

この時のアヤメの写真を見直してみると、アヤメの葉が食害に遭っているのがわかる。

別角度から見た裸山のお花畑。ちらほらとキンポウゲが咲いているがアヤメはほとんど見当たらない。この時はまだ保護柵は設置されていなかった。

この時に運命的な出会いをしたクモマツマキチョウ。あこがれていたこの蝶を初めて見て山に登るようになった。

アヤメ平の木道脇に咲いていたキバナノアツモリソウ。平成18年6月を最後に櫛形山で元気に咲くこの花を見ることは無くなった。
平成18年のまだ本格的な登山を始めていなかった頃に訪れた櫛形山は既に鹿の食害でアヤメが激減していた頃だった。山のことも植物のことも全く知らなかった私は櫛形山とはこんなところなのだろうと思っていたが、その翌年からアヤメがほとんど咲かなくなりアヤメ祭も行われなくなったということを聞いた。この時の目的だったクモマツマキチョウに出会えたことがきっかけとなって本格的に登山を始めるようになった。翌年も同じ時期にアヤメ平まで登っているがアヤメは数輪しか咲いておらず、クモマツマキチョウも出会えなくなってしまった。そして干からびたキバナノアツモリソウをその時に目撃して以来、登山道から観察できる範囲内では目撃することが無くなってしまった。
ここからは保護柵設置後の櫛形山の植生の変化である。

平成26年7月、保護柵設置後1年目のアヤメ平。手前にあるカニコウモリと思われる植物はことごとく食べ尽くされている。保護柵の効果があるのは明らかである。

平成25年6月の裸山。アヤメ平よりも一足先に保護柵が設置されたこの場所はキンポウゲの再生が著しい。

平成26年7月の裸山。テガタチドリが増えてきた。アヤメもちらほらと見え始める。

平成27年7月の裸山。テガタチドリが爆発的に増えている。アヤメも数を増やしてきた。

平成28年7月の裸山。テガタチドリは姿を潜めてアヤメが大部分を占めるようになる。

平成29年7月の裸山。アヤメの復活が著しく、テガタチドリはあまり見られなくなる。

復活した裸山のアヤメ。
保護柵の効果が現われて裸山ではアヤメが復活したわけではあるが、それまでの過程としてキンポウゲ、テガタチドリの増殖があり厳しい植物界での生存競争に打ち勝ってアヤメが再生してきたと言って良いのではないかと思う。テガタチドリが減ってしまったのは残念ではあるがアヤメが復活してくれたことは嬉しい。

アヤメ平はまだキンポウゲが主体でアヤメがちらほらと混ざっている。これからアヤメが増えてくるだろうと予想される。
しかし何でも囲えば良いというものでも無い。平成28年秋に人避けを主な目的として保護柵で囲ったホザキツキヌキソウであるが、あまりうまく行っていないようである。

平成28年6月、保護柵設置前のホザキツキヌキソウ。大きな元気な葉を展開していた。シダとの大きさの違い、および下草の変化に注目していただきたい。

当初は人に踏まれないように周辺に木の枝が置かれて囲ってあった。

平成29年6月、保護柵を設置した翌年の様子。葉の大きさがひとまわり小さくなっている。

平成29年7月、周辺の下草が大きくなって葉が隠れてしまっている。囲っていた木の枝が取り除かれたために下草が入り込んでしまっているようだ。

平成30年6月、周辺の植物が大きくなり過ぎて完全に埋もれてしまっている。

葉の大きさが小さいだけでなく数も明らかに減っている。

花は咲かせているもののきわめてまずい状況に陥っている。
人に踏まれないように、盗掘されないようにという配慮で設置してもらった保護柵であるが、ホザキツキヌキソウにとっては良く無かったようである。周辺にあった木の枝が周囲からの植物の侵入を防いでいたようで、また適当に人が来て周りを踏み付けていたことも植物の侵入を防いでいたかも知れない。いずれにせよ、周辺の草を除去する作業は最低限必要であろう。残念ながら今のところ勝手に手が出せない状況であるが、今年度から環境省の自然公園指導員という大役を仰せつかっており、環境省に直接意見が言える立場となった。意見書を作成して保護をお願いする予定である。

平成18年6月、まだ山歩きを始めたばかりの頃に登った櫛形山裸山の風景である。前年のアヤメの花穂が残っているがこの年はアヤメはわずかしか咲かなかった。

この時のアヤメの写真を見直してみると、アヤメの葉が食害に遭っているのがわかる。

別角度から見た裸山のお花畑。ちらほらとキンポウゲが咲いているがアヤメはほとんど見当たらない。この時はまだ保護柵は設置されていなかった。

この時に運命的な出会いをしたクモマツマキチョウ。あこがれていたこの蝶を初めて見て山に登るようになった。

アヤメ平の木道脇に咲いていたキバナノアツモリソウ。平成18年6月を最後に櫛形山で元気に咲くこの花を見ることは無くなった。
平成18年のまだ本格的な登山を始めていなかった頃に訪れた櫛形山は既に鹿の食害でアヤメが激減していた頃だった。山のことも植物のことも全く知らなかった私は櫛形山とはこんなところなのだろうと思っていたが、その翌年からアヤメがほとんど咲かなくなりアヤメ祭も行われなくなったということを聞いた。この時の目的だったクモマツマキチョウに出会えたことがきっかけとなって本格的に登山を始めるようになった。翌年も同じ時期にアヤメ平まで登っているがアヤメは数輪しか咲いておらず、クモマツマキチョウも出会えなくなってしまった。そして干からびたキバナノアツモリソウをその時に目撃して以来、登山道から観察できる範囲内では目撃することが無くなってしまった。
ここからは保護柵設置後の櫛形山の植生の変化である。

平成26年7月、保護柵設置後1年目のアヤメ平。手前にあるカニコウモリと思われる植物はことごとく食べ尽くされている。保護柵の効果があるのは明らかである。

平成25年6月の裸山。アヤメ平よりも一足先に保護柵が設置されたこの場所はキンポウゲの再生が著しい。

平成26年7月の裸山。テガタチドリが増えてきた。アヤメもちらほらと見え始める。

平成27年7月の裸山。テガタチドリが爆発的に増えている。アヤメも数を増やしてきた。

平成28年7月の裸山。テガタチドリは姿を潜めてアヤメが大部分を占めるようになる。

平成29年7月の裸山。アヤメの復活が著しく、テガタチドリはあまり見られなくなる。

復活した裸山のアヤメ。
保護柵の効果が現われて裸山ではアヤメが復活したわけではあるが、それまでの過程としてキンポウゲ、テガタチドリの増殖があり厳しい植物界での生存競争に打ち勝ってアヤメが再生してきたと言って良いのではないかと思う。テガタチドリが減ってしまったのは残念ではあるがアヤメが復活してくれたことは嬉しい。

アヤメ平はまだキンポウゲが主体でアヤメがちらほらと混ざっている。これからアヤメが増えてくるだろうと予想される。
しかし何でも囲えば良いというものでも無い。平成28年秋に人避けを主な目的として保護柵で囲ったホザキツキヌキソウであるが、あまりうまく行っていないようである。

平成28年6月、保護柵設置前のホザキツキヌキソウ。大きな元気な葉を展開していた。シダとの大きさの違い、および下草の変化に注目していただきたい。

当初は人に踏まれないように周辺に木の枝が置かれて囲ってあった。

平成29年6月、保護柵を設置した翌年の様子。葉の大きさがひとまわり小さくなっている。

平成29年7月、周辺の下草が大きくなって葉が隠れてしまっている。囲っていた木の枝が取り除かれたために下草が入り込んでしまっているようだ。

平成30年6月、周辺の植物が大きくなり過ぎて完全に埋もれてしまっている。

葉の大きさが小さいだけでなく数も明らかに減っている。

花は咲かせているもののきわめてまずい状況に陥っている。
人に踏まれないように、盗掘されないようにという配慮で設置してもらった保護柵であるが、ホザキツキヌキソウにとっては良く無かったようである。周辺にあった木の枝が周囲からの植物の侵入を防いでいたようで、また適当に人が来て周りを踏み付けていたことも植物の侵入を防いでいたかも知れない。いずれにせよ、周辺の草を除去する作業は最低限必要であろう。残念ながら今のところ勝手に手が出せない状況であるが、今年度から環境省の自然公園指導員という大役を仰せつかっており、環境省に直接意見が言える立場となった。意見書を作成して保護をお願いする予定である。