このブログでは「悲劇の国、ポーランド」というシリーズ記事を連載しています。悲しいことを書き続けているので、暗欝な国と誤解されると困ります。そこでWikipediaの「ポーランドの観光」の項目の中の「ギャラリー」にある風景写真を転載いたします。風光明媚な素晴らしい国です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。詳しくは、 Wikipediaの「ポーランドの観光」の項目を是非ご覧下さい。ポーランドへ遊びに行きたくなると信じています。尚、ポーランドの地図はhttp://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=55.40936408346429&lon=20.677617243043997&z=6&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=52.004151275936&hlon=19.007695368044&layout=&ei=utf-8&p=に御座います。
第二次世界大戦中のポーランドの悲劇を何故クドクド書かねばならないのでしょうか?自問自答しています。我々日本人は東部ヨーロッパで何が起きたかを知らな過ぎるからです。我々の想像以上の複雑なことが起きたのです。この様子を知る事は日本の将来の防衛を考える時必ずや参考になると思っています。ロシアが日本を攻めて来る。アメリカが反撃して日本を守ってくれる。自衛隊もアメリカ軍とともに戦う。そんな単純な図式を日本人はなんとなく想定しています。しかし一旦戦争が始まったらそう単純ではなくなる可能もあります。日本に居る北朝鮮系の人々が蜂起するかも知れません。在日韓国人も立ち上がります。中国や台湾の動きも複雑になります。
1939年9月に120万人居たポーランド軍がドイツとソ連に降伏します。国内で地下に潜ったポーランド軍も含めて運命は3つの道をたどります。今回はソ連側へ降伏したポーランド軍の運命を簡略に書きます。
ロンドンにあるポーランドの亡命政府とソ連が友好関係を続けていた1942年6月迄とそれ以後によって運命は2つに分かれたのです。1942年初めまではスターリンは降伏したポーランド軍をそのままドイツとの戦争に使おうとします。しかし彼らに供給する武器弾薬と食料が有りません。ソ連軍にとっても不足しています。そこでアメリカからの支給を受けてドイツと戦わせようとします。その上スターリンは次第にポーランド軍を信用しなくなります。そこでポーランド軍をロシア南部を経由して英米の影響下にあるイランへ送りアメリカ側へ手渡したのです。その数は1942年夏までに7万人と言われています。結果的にこの7万人のポーランド軍は幸運でした。西側同盟軍の一部になったのですから。
しかし1943年6月にスターリンは残存ポーランド軍を組織化し、「義勇兵師団」を作ります。そしてこのポーランド義勇兵師団(東部ポーランド軍)はソ連軍とともに1943年10月にスモレンスク東方で侵攻していたドイツ軍を追い返すのです。その勢いでワルシャワ近くまで進撃します。1944年の8月です。その時の東部ポーランド軍は8万人にもなっていました。しかし、ワルシャワ市内で蜂起したポーランド軍がドイツ占領軍に鎮圧されているのを傍観するしかなかったのです。その後、1945年1月にソ連軍と一緒にワルシャワを占領します。しかし市民は冷たい態度です。当然です。蜂起軍を見殺しにしたのですから。その上、ワルシャワ蜂起軍の残存兵を探し出し、処刑するソ連軍へ協力せざるを得なかったのです。あくまでもソ連への忠誠を誇示しなければ自分達も逮捕、処刑されるからです。
1945年1月18日にワルシャワにソ連とポーランド東部軍は「ポーランド共和国臨時政府」を作ります。これが戦後から1989年までポーランドを支配した共産党独裁政権になるのです。
この臨時政府樹立の後、ポーランド東部軍は規模を拡大して、東ドイツへ攻め込みます。(続く)
この記事の為に、「歴史群像」2月号、2010のpp64-78 を参考にしました。記して感謝の意を表します。
日本文化はどちらかというと論理よりも感性を大事にする文化。人々は面倒くさい理屈よりも感じの良いものを好む。そのような文化を背負って外国へ行くと損をすることもある。論陣を張る人は嫌われ、情に訴える人は好かれる。この傾向は近年弱くなったがまだまだ日本人の心の底に棲みついている。
昨日、文芸春秋、3月特別号を買ってきていろいろ読んでいた。小沢さんの政治資金関係の記事が多すぎる。功成り名を遂げた偉い人々の説教が「人を動かす言葉」という特集になっている。飛ばし読みをしたが小沢さん関連記事も偉い人々の説教も面白くない。その上何故芥川賞が無かったかという長い言い訳。一言で言えばつまらない特集号である。
ところが唯一、塩野七生さんの「仕分けで鍛える説得力」日本人へ(82)、という記事は面白い。ほとんど笑い出したいぐらい面白い。昨年、民主党議員が官僚を呼びだして各省庁の予算と事業内容を検査して、予算を切って行った。その折の官僚側のあまりにも貧しい言語能力と説得力の無さに、塩野さんがア然としている。そして官僚側が予算を守る戦略を教えてくれている。1、全員を救おうとすれば一人も救えなくなるという、人間社会の厳しい現実。2、官僚側が勝つに最も効果的な方策は、敵(政治家)が予想もしていなかった戦術を用いたとき。この二つの原則にもとづいて論陣の張り方を具体的に教えてくれている。
塩野さんはローマ帝国の研究と執筆で有名で、イタリアに住んでいる。日本が世界に誇れる第一級の知識人である。もっと分かり易く言えばヨーロッパの文化人である。
私は彼女の記事に賛同し、楽しい思いで読んだ。しかし一方で空しい思いに捕らわれた。この記事を日本の官僚は本気で読むだろうか?自分たちをケナした内容の記事の内容でも、参考になる点を取り入れて説得力の向上に努力するだろうか?答えは残念ながら、否である。官僚は自分達だけの世界を守る。外の人の言うことを聞かないのです。困った人々です。しかし少しずつではあるが若い官僚は変わって行く。希望が持てると信じています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人