後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

悲劇の国、ポーランド(5)アウシューヴィッツ収容所が何故ポーランドにあるかご存知でしょうか?

2010年02月16日 | うんちく・小ネタ

我々日本人は東ヨーロッパ諸国の歴史や文化にあまり興味がありません。明治維新以来の富国強兵の為に役に立たない国々であった為です。大日本帝国の近代化された軍隊組織は英国、フランス、ドイツを参考にし作られました。軍艦も戦闘機もこれらの西ヨーロッパの国々から輸入されたのです。チェコの機関銃以外、東ヨーロッパから輸入するものが無かったのです。

東ヨーロッパ諸国は第二次大戦後、ソ連の衛星国になってしまい、情報は途絶えてしまいました。1945年から1989年のゴルバチョフによる情報開示まで東ヨーロッパは情報の暗黒地帯だったのです。従って、私は何故、アウシューヴィッツ強制収容所がポーランドに存在したか?その理由が理解出来ませんでした。東ヨーロッパ事情に興味が無かったからです。この知的怠慢を私は非常に恥かしく思っています。

最近、ポーランドの悲劇を少し調べて見て分かりました。ポーランドには一番多くユダヤ人が住んでいたのです。270万人以上です。ヒットラーがユダヤ人絶滅戦略の為には、まずポーランドのユダヤ人を殺すのが一番効率の良い方法です。

他の諸国のユダヤ人は数も少なく、集める労力がかかり過ぎます。従って結果的に殺戮率も少なくて終りました。ポーランドのユダヤ人は99%殺されたのです。

ヒットラーによって殺されたユダヤ人は600万人と言われています。その出身国を以下に示します。ポーランド、ソ連、ハンガリーがず抜けて多いことにご注目下さい。

ドイツに殺されたユダヤ人 の出身地:

ドイツ: 165,000 、オーストリア: 65,000 、フランスおよびベルギー: 32,000 、オランダ: 10,000以上 、ギリシャ: 60,000 、ユーゴスラヴィア: 60,000 、チェコスロヴァキア: 140,000以上、ハンガリー: 500,000 、ソ連: 2,200,000 、ポーランド: 2,700,000

この他も合計すると1100万人前後(ユダヤ人600万人、非ユダヤ人500万人)となる。(数字の出典:Wikipediaの「ホロコースト」の項目より)

日本には65年間戦争がありませんでした。皆が戦争のことを忘れ、その悲惨さも忘れようとしています。ヒトラーのドイツが600万人ものユダヤ人を理由も無く殺したのです。そのドイツと日本は軍事同盟を組んで共に第二次世界大戦を戦ったのです。ユダヤ人の大量殺戮に日本人は責任が無いのでしょうか?私は、何故か、少しは責任があるように感じています。皆様のご意見はどのようなものでしょうか?コメントとしてご意見を頂ければ嬉しく思います。(続く)

ホロコーストとは焼き尽くすという意のギリシャ語からきているそうです。そのイメージの挿絵を下にしめします。溶鉱炉の夜景の写真です。アウシューヴィッツの写真はあまりにも憂鬱になりますので、ご勘弁して下さい。

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ガンの治療費を支援する人々に感動しました

2010年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ひかるのさんがガンになり、急遽帰国し東京厚生年金病院で抗癌剤治療を始めました。彼は治療費が心配なので、ブログを使って、アジアの手織り布や草木染めの布を売り始めました。それにこたえて何人もの人々が買い上げてくれています。ブログを読んで知り合った人々です。その上、病院へ入院出来たのもブログで知り合ったお医者さんのお陰です。

ネットはバーチャルな世界なので何も役に立たないと言う人もいます。しかしこのように実際的に役に立つお付き合いも出来るのです。ひかるのさんはネットのお陰でガンの治療を受けることが出来たのです。その事実に私は感動しました。

もっと支援が必要です。布の購入方法は、http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season に御座います。下に昨年、神田、小川町で、ひかるのさんが開催したアジアの布の展示会の様子です。手紡ぎ、手織り、草木染めなどのお好きな方は是非購入をお考え頂きたいとおもいます。(終り)

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老境に何故、最高の幸福感が味わえるのでしょうか?

2010年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

私が何時、老人になったか?と問われれば返事に窮します。しかし4年前の70歳に仕事を一切止めてからは完全な老境の日々です。老いの悲しみも体験しました。しかし以前には体験出来なかった大きな幸福感に身を包まれることを何度も体験しました。昨日も下の写真を、ポーランドの風景写真をお楽しみください という記事に掲載してから何度も見入り、涙が出るような幸福感に包まれました。

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ポーランドのある港町の風景です。静かです。平和です。キャビンの大きなヨットを浮かべて遊ぶ時の楽しさが目に見えます。

何故、それが私に幸福感を与えるのでしょうか?私は最近、第二次世界大戦中のポーランドの地上で起きた裏切りや殺戮を調べ、何度も書き続けました。その後でこの静かな写真を見たのです。心がやっと救われました。幸福感に包まれます。

このような体験は多くの人々が現役の間にも何度もします。でも仕事を止めてから感じる幸福感はもっと深く、根源的なものです。現役の間はどうしても自分の仕事のことに気が取られます。純粋にポーランドの人々の幸、平和になったときの歓喜が深く理解出来ません。老境になるとその歓喜を共に味わえるのです。

平和の有難さが、老人になって初めてより深く理解出来るのです。戦後65年戦争の無かった日本に生きてこれた幸運に涙が流れます。仕事をしている間はフッとその様に思うことも何度もありましたが、涙が流れる程感動したことはありません。

老境には静かに深く考える時間があります。そのお陰で人生で始めて体験する深い幸福感が味わえるのです。そのような時期を持ってから死んで行ける自分の幸運を神へ感謝しています。皆様も老境になると、必ずこのような幸福感を実感出来ると信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人