後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

まったく詰まらない話ですみません

2010年02月05日 | 写真

今日は家内とヨットまで行って、ちょっとした仕事をして来ました。中学生になる一番年上の男の子の孫がヨットの前のキャビンを自分達の部屋にしたがっています。それで前のキャビンとメインキャビンの間の上部に「なげし」を取りつけ、厚手のカーテンで仕切りを作りました。その後で4本の係留綱の長さを微調整しました。ヨットの左右にもロープを張り、ヨットが隣りの係留場所へ侵入しないようにしました。これで行儀よく係留できます。まったくつまらない話でごめんなさい。

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日本の歴史のなかで現在が最良の時代(1)豊かな食生活の恩恵

2010年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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私たちの住んでいる日本はどのような所なのでしょうか?

つい欧米やアジア諸国と比較して考えますが、少し視点を変えて、歴史的に見てみると面白いことに気がつきます。

奈良時代や平安時代、そして江戸時代、明治、昭和と人々の食生活は大きく変わりました。

そんな長い歴史を振り返っても現実感が無いので、1970年と現在の2010年の間の様変わりを見てみましょう。

当時は経済の高度成長が始まったばかりで、都会と地方の生活レベルに大きな差がありました。都会にはスーパーマーケットが有りましたが、その規模は小さくアメリカと比較するとみすぼらしいものでした。そしてファミリーレストランやマグドナルドやケンタッキーフライドチキンのようなファーストフードの店がほとんど有りませんでした。そして街には質素な食堂がありました。ソバ、ウドン、丼物だけでした。店の中も小さく、暗く、テーブルも粗末でした。

勿論、政治家や大会社の人々が行く高級料亭はありましたが一般庶民は縁がありません。人々は毎日自宅で食事をし、弁当を持って職場へ通いました。私も妻の作る弁当を毎日持って通ったものです。1970年当時の食生活は単純でした。朝はコーヒーにトーストと目玉焼き。昼の弁当は米のご飯に梅干し1ケ、そして野菜、魚のおかずが隅についています。夜はご飯に味噌汁、そして魚、時々肉料理です。外食はめったにしませんでした。出張で旅に出る時は地方の町にある食堂ですませます。兎に角、ご飯を沢山食べました。

40年後の現在はどうでしょうか?弁当を持って職場へ行く人は非常に少なくなり、外食が普通です。ファミリーレストランがそこかしこに有ります。家庭の主婦も幼子連れで食べています。老人夫婦も昼食はレストランで食べる人が多いのです。その上、レストランの種類が豊富です。寿司、天麩羅専門店、ウナギ屋、イタリアンにフレンチ、タイ料理店、中華料理店、こだわりのラーメン専門店、何でもあります。

レストランが増えただけでありません。美味しい食材が世界中から安く入ってきます。品質の良い食材です。1969年に私はドイツへ行き、1年間住みました。ドイツに行って一番驚いたことは卵とソーセージの美味しいことでした。日本の鶏卵は大きいのですが味が魚臭くて淡泊過ぎて不味いものでした。ソーセージは形は同じものが有りましたが品質が劣悪で、まずい代物でした。その上、魚肉ソーセージという変なものが横行していたのです。野菜や果物も形は悪いのですが、味が鮮烈で感動しました。ドイツへ行って食品の美味しいことに涙が出た思い出があります。

現在は日本の食品の質も上がり、美味です。食べ物の量だけでなく味が洗練され、大げさに言えば文化の香りさえします。それを私のような一般庶民が毎日楽しめる時代になったのです。

このような時代は日本の歴史の中に無かったと断言しても反対する人は居ないと信じています。食生活の事を考えると現在は天国のようです。特に戦前、戦後のひどい食料難を通ってきた高齢の日本人にとっては夢のような世界です。このような国に育て上げてくれたいろいろな立場の人々へ感謝します。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人