観光旅行をするときある種の追憶をたどって行く場合があります。例えば数年前に訪ねた松江への旅は茶人だった松江七代藩主、松平不昧公の追憶の旅です。そして小泉八雲の追憶の旅です。小高い丘の上にある不昧流の茶室に上がって茶と菓子を楽しみながら宍道湖を眺めます。御菓子に感心しました。鮮やかな緑色の「若草」です。柔らかな求肥で上品な甘みです。若草とは不昧公の和歌から命名されたものです。
町へ下りて来て彩雲堂でそれを買い、そして風流堂の紅白の「山川」、さらに三英堂の黄色の地に白い蝶の舞う「菜種の里」を購入しました。下の写真は「若草」と「菜種の里」です。
松江といえばもう一つ見なければいけないところが有ります。小泉八雲の旧居とその隣にある記念館です。八雲の生涯は不遇な一生でしたが、セツという素晴らしい女性と結婚したお陰で最後の14年間は幸福になります。セツから聞き出した数々の怪談話を文学作品として英語で発表したのです。
しかしその文学作品が翻訳され日本で有名になったのは彼の死後10年以上経過した大正時代の末頃でした。平川 呈一などの名訳でさらに広く読まれるようになったのです。そのような悲しい、そして幸せな人生もあるのかと考えながら彼の旧居と記念館を訪ねました。下の写真は記念館の門と内側に入った所です。
記念館を見て、その温かい家庭的な雰囲気に圧倒されました。記念館には八雲の子供や孫、曾孫が遺品を持ち寄って展示しているのです。セツさんや八雲の使っていた文房具や原稿の下書き、子供の為に描いた絵や説明文が沢山あるのです。家庭の幸を展示した記念館です。よくある公共の有名人の記念館ではその人の偉大な作品をこれでもかと展示してあります。簡単に言ってしまえば、威張るための展示です。ところが八雲の記念館には家庭愛が展示してあるのです。どんなに八雲がセツや子供を愛したかがすぐに分かるように展示してあるのです。遺族が経営に参加し展示を受け持っているようです。
家内が感心していろいろ絵葉書を買いました。下にその写真を出しておきます。
最後に彼の一生をかいつまんでご紹介しておきます。
ギリシャで生まれ父母の離婚で親類に引き取られ、その親類も倒産しラフカデオはアメリカに渡ります。恵まれた文才で新聞社で働きます。間もなく黒人の女性と結婚し、その理由で新聞社を馘になります。でもその妻ともすぐに離婚。浪々の身で横浜に流れ着いたのが1890年です。松江の学校の英語教師の職を得ます。この不遇な男の人生を一転 明るい日々に変えたのが小泉セツという賢い女性です。情愛に満ちた女性です。小泉八雲と名前を変え帰化します。子供にも恵まれラフカデオは初めて幸福な家庭を持ちます。職場が変わり熊本、東京へと移り住みますがセツは子供と一緒に付いて行きます。1904年東京の自宅で狭心症で死にます。満54歳でした。戒名は正覚院殿淨華八雲居士で墓は東京の雑司ヶ谷墓地にあります。(終り)
現在の日本は豊かで、貧乏な人は居ないと人々は言う。しかし心の貧しさは昔も今も変わらないように思います。下は小泉八雲の短い作品の紹介です。家主が貧乏な兄弟を家賃が払えないからといって雪の中に追い出してしまったのです。料金が払えないからといって電気やガスを止めてしまう大会社があります。それを当然と思っている人々が沢山いるのです。色々なことを考えさせる悲しい物語なので、ここにお送りいたします。出典はフリー百科事典「ウイキペディア(Wikipedia)」の「鳥取のふとんの話」の項目です。
『鳥取のふとんの話』(とっとりのふとんのはなし)は小泉八雲が発表した怪談。『知られざる日本の面影』に所載されており、妻・小泉節子が語って聞かせた鳥取市に伝わる古い昔話を再話したものとされている。
物語
鳥取の町に小さな宿屋があった。ある雪の日、この宿屋に一人の男が泊まったが、深夜ふとんの中から聞こえてくる「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」という子どもの声に目を覚まされた。主人はこうした幽霊話を否定していたが、その後もたびたび怪異が起き、とうとう宿屋の主人もふとんがしゃべる声を聞いた。主人がこの怪異を調べようとふとんの持ち主を調べていくと、次のような悲しい話が明らかになった。
そのふとんは、古道具屋が鳥取の町はずれにある小さな貸屋の男から手に入れたものだった。その貸屋には、貧しい夫婦と2人の子どもが住んでいたが、夫婦が子どもを残して相次いで死んでしまった。2人の兄弟は家財道具や両親の残した着物を売り払いながら何とか暮らしてきたが、ついに1枚の薄いふとんを残して売るものがなくなってしまった。大寒の日、兄弟はふとんにくるまり、「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」と寒さに震えていた。やがて冷酷な家主がやってきて、家賃を払えなくなった兄弟を雪の中に追い出してしまった。かわいそうな兄弟はゆく宛もなく、少しでも雪をしのごうと追い出された家の軒先に入って2人で抱き合いながら眠ってしまった。神様は2人の体に新しい真っ白なふとんをかけておやりになった。もう寒いことも怖いことも感じなかった。しばらく後に2人は見つかり、千手観音堂の墓地に葬られた。
この話を聞いて哀れに思った宿屋の主人は、ふとんを寺に持って行き、かわいそうな2人の兄弟の幽霊のためにお経を上げてもらった。それからというもの、ふとんがものをしゃべることはなくなったという。
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