後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

海上での事故や遭難は完全に自己責任です

2010年02月26日 | うんちく・小ネタ

昨日、霧の中をセイリングして色々考えてみました。自分の安全は自分だけで守り、他人様へ迷惑をかけてはいけません。そこで霧がかかった空気の見通しの距離を目測しながら進みました。見通しは方向によって1kmから2kmの間を変化しています。霞ヶ浦では高速船が走りませんからこれで十分安全です。毎日走る船の種類と航路も知っています。航路に近づかないでセイリングを楽しみました。下の写真の砂利運搬船が1時間毎に決まった航路を走っていました。他には遊びのモーターボートが1隻いましたが、こちらを気にして離れて走っています。あとは自分が落水しないように何時もより慎重に船内を動きました。

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海上での衝突は自己責任で回避します。遭遇する船のどちらに優先権があるという規則はありますが、大きな船が来たら小さい船が逃げるのが鉄則です。逃げないで衝突すれば小さい船が沈没します。命も落とします。この時非常に重要なことは小さな船は大きな船へ、どちらの方向へ逃げるかを大げさに教えることです。大きく舵を切り、船腹を大きな船に見せ、その後は走る方向を変えません。上のような砂利運搬船が見えたら、大きく舵を切り、こちらが逃げますと知らせます。相手は分かったというように反対向きへ船首を少しだけ動かします。その後はこちらが逃げ回ります。

見通しが良い時はこれで問題ありません。以前に、海上自衛隊のミサイル艦と漁船が衝突し、漁船が沈没しました。海難審判ではどちらも悪いという判決で、海上自衛隊がマスコミで非難されていました。しばらく年月が過ぎましたので私の本当の感じ方を書きます。どちらが良い悪いという問題ではなく、漁船の船長を尊敬できないと感じました。同じグループの他の数隻の漁船は海上自衛隊のミサイル艦を逃げて安全に航行していたのです。暗夜に海上を走る以上はレーダーなどで他の艦船を監視して、大きな船が来たら、いつでも逃げ回れる態勢で走るのが鉄則です。自衛隊の艦船は自分と同じくらい大きな船には注意しますが、小さな漁船は注意しないのが自然です。「小さな船が逃げ回る原則」のためです。

自衛隊の艦艇は航海灯をつけていたのですから前方を見ていれば回避出来たのです。船室内で仕事をしていたのでしょう。それでは衝突します。

「海上での安全は自己責任で守る」。これは万国共通の原則です。ですから船長には大きな責任があります。その一方で、船長には逮捕権があります。船内で結婚する夫婦の結婚証明書を発行する権利もあります。しかし自分の船が沈没すれば理由のいかんを問わないで100%船長だけの責任です。船長が沈没する船と運命を共にするのはその責任をとって死んで行く行為です。水の上は陸の上とは違う、まったくの別世界なのです。霧の中でヨットに乗っていると別世界ということが体験的に理解出来ます。海難審判では多くの場合、両方に注意義務を怠ったという判決になります。その背景には海上は別世界なので自己責任で安全を守りなさいというメッセージの意味もあると思っています。私の理解は間違っているでしょうか?どなたかにご指導を頂ければ嬉しく思います。(終り)


チャッピーさんの高画質写真をお楽しみ下さい

2010年02月26日 | 写真

趣味人倶楽部で高画質写真を発表されている方を見つけました。チャッピーさんという方です。転載のお許しを頂きましたので、その中から4枚だけご紹介します。

彼の写真機が高級カメラというだけではありません。全国へ旅して撮影場所に何時間も頑張って最高のシャッターチャンスで素晴らしい写真を撮っていらっしゃるのです。その努力と打ち込み方に感銘を受けます。写真は上から順に、松江の宍道湖の夕日、広島の厳島神社の大鳥井、夜のレンボー・ブリッジと屋形船、そしてシラサギの近影です。出典は、http://sumukuwabara.cocolog-nifty.com/photos/tyapp..です。

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====趣味人倶楽部でのチャッピーさんの自己紹介====

はじめまして。一昨年退職し、現在はデジタルカメラでの撮影を唯一の楽しみとしています。同じ趣味の方とお付き合いしたく、趣味人倶楽部へ入会いたしました。宜しくお願いします。下記写真集へお立ち寄りいただければ喜びます。マイアルバムの元アルバムです。http://sumukuwabara.cocolog-nifty.com/photos/tyapp..
陳謝:柄にもなく複数の写真に複数の方から拍手をいただくと、パソコンの前にいつも座っている訳ではないチャッピーは、どの写真のどの方にお礼を差し上げたのかが分からなくなってしまう昨今です。
還暦を過ぎて2年、まだまだ若いつもりでしたが、頭脳の細胞が少しずつ、いや大量に消滅し始めているのかもしれません。===以下省略==


日本人は率直に謝ります、欧米人は謝りまりません。何故でしょうか?

2010年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人は本来、謙虚で自分の失敗をすぐに認め、謝ります。しかし欧米人は傲慢で絶対に謝りません。こういう言い方を良く聞きます。

同じ人間なのに、こうも違うのは何故でしょうか?

日本人は相手が怒ったらろ、とりあえず、すぐに謝ります。そういう風に子供の頃から躾けられています。議論をしてどちらが正しいかを考えません。議論を始めると最終的に損をする結果になる事が多いのです。「謝罪」は社会的に要求されるてもいます。「謝罪」をすれば難問も解決することが多いのです。

欧米人が謝らないのには二つの理由があります。キリスト教国の人々は、「悪い事」をした時はまずイエス様へ謝り、許しを乞います。それが済むと、迷惑をかけた他人へ謝ることを忘れてしまいます。しかしこれは充分ではありません。イエス様は言います。汝の隣人を愛せよ、と。愛しているなら謝るのが自然です。それを怠るのは怠りの罪です。人間は本来傲慢な性向を持っています。イエス様に謝ったのだから迷惑をかけた相手には謝らなくとも良いと自分に都合よく考えます。

もう一つの理由は自分の失敗を認めたなら、責任を取って損害賠償をしなければなりません。そのような社会的契約がイスラム教、ユダヤ教、キリスト教を背景にした社会に昔から厳然と存在していました。

アメリカで交通事故をおこしたら絶対に謝るなと言います。損害賠償が巨額になるからです。しかし公園や路上で、アメリカ人がぶつかりそうになると慎しやかに謝ります。路上や公園で軽くぶつかるのは損害賠償をしなくてよいからです。

昨日、アメリカ議会の公聴会で豊田社長はキチンと謝りました。そして二度と、今回のような失敗をして、トヨタ車のユーザーに迷惑をかけないようにすると約束しました。アメリカのマスコミは豊田社長の公聴会での謝罪を高く評価しました。

その事もあって、アメリカのトヨタ販売店やトヨタ工場で働いている人々が豊田社長を激励する会合をして、「我々は常に貴方の味方です」と言ったのです。豊田社長が感激のあまり泣き出していました。

欧米だろうが、イスラム教国だろうが謙虚に謝罪することは人間の美徳です。欧米でも謝罪は重要なことと考えられています。しかしそれをしないで傲慢の罪をおかす人々が多いのです。それだけに豊田社長の「損害賠償をする決心」に裏付けられた謝罪は高く評価されたのだと思います。

今回の豊田社長の態度は立派でした。ただもっと早く記者会見をして謝罪すればより良かったのかも知れません。豊田社長にとっても貴重な経験になったと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人