ドイツ軍はポーランドに8つの絶滅収容所を作って270万人のユダヤ人を殺しました。こんなに多くの残酷な収容所を作ったのはポーランドだけでした。アウシューヴィッツ、ビルケナウ、モノヴィッツ、ソビブル、トレブリンカ、ヘウノム、ヘウジェツ、マイダネク、の8ケ所です。ポーランド人の協力もあってドイツ軍は99%のユダヤ人を絶滅出来たのです。しかし絶滅されたのはユダヤ人だけではありません。ドイツに協力的でないカトリック神父、ジプシー、身体障害者、精神病者、同性愛の人々なども一緒に殺されたのです。処刑されたカトリック神父の数は数百人とも言い、修道院に居る修道士やシスターを含めると数千人とも言いますが正確な数は不明でです。そのカトリック神父の中にマキシミリアーノ・コルベ神父様が居ました。1930年に長崎に来て、1936年まで日本で働いたことのあるポーランド人の神父様です。彼は絶滅収容所で殺されようとしていた一人の妻子あるユダヤ人の代わりに殺されたのです。一人のユダヤ人を助ける為に自分から収容所所長へ申し出て「餓死の刑」を受け、14日目に薬物注射をされ、1941年8月14日に殺されます。助かったユダヤ人は1982年にローマのバチカンでの式典に列席します。コルベ神父を聖人に列する式典へです。深い溜息をつきながらこの文章を書いています。
ここで一休みしてコルベ神父様の写真とイギリスのウエストミンスター寺院に飾られているコルベ神父様の石像の写真をご紹介します。出典はWikipediaの「コルベ神父」の項目の写真です。
最後に一つだけ説明したいことがあります。コルベ神父様がユダヤ人の身代りで殺されたことが日本では明確に書かれていません。しかし日本人を愛している元ローマ法王庁枢機卿のヨゼフ・ピタウさんが2009年11月10の読売新聞の「時代の証言者」の中で「餓死刑を言い渡されたユダヤ人男性の身代わりなった」と明記しています。ユダヤ人の身代りになった事実は後にヨハネ・パウロ2世も確認しています。
コルベ神父様は何故ユダヤ人の身代りを申し出たのでしょうか?死の恐怖にとらわれ苦しんでいる人を助けようとしたのです。その男がユダヤ人であるとかポーランド人であるとかは眼中に無かったと信じています。キリストの教える愛とはそういう別け隔ての無い絶対的な愛です。そしてコルベ神父様は愛の殉教者になったのです。ポーランド人によるユダヤ人の迫害がこれで帳消しになる訳ではありません。しかしこの原稿を書き続けている私には一条の希望の光を見るような気持ちです。
最後にイタリア出身で日本に在住し、日本人を愛しているヨゼフ・ピタウさんの写真をご紹介します。このブログの2009年の11月から12月に渡ってヨゼフ・ピタウ枢機卿のことを書きましたので合わせてご参照頂ければ嬉しく思います。
イエズス会日本管区長、上智大学学長、大司教などを歴任した方です。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
参考情報:Wikipediaの「コルベ神父」の項目の末尾の文章を以下に掲載します。
ーーー前の部分は省略ーー
通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベと9人は互いに励ましあいながら死んでいったといわれている。時折牢内の様子を見に来た看守は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している。2週間後、コルベを含む4人はまだ息があったため、フェノールを注射して殺害された。1971年に列福され、1982年10月10日にポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。式典にはコルベに命を助けられたガイオニチェクの姿もあった。ガイオニチェクは戦後世界各地で講演を続け、死去するその時までそれを行っている。1998年にはロンドンのウェストミンスター教会の扉に「20世紀の殉教者」の一人としてコルベの像が飾られた。